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米寿を超えてもテニスとともに生きる 7期生戸堂先生の進路選択

 最近、校長ブログを読んでいただいている方が増えてきたと喜んでいます。先日の進路説明会で講師の先生が「校長ブログを読んでいる人は手を挙げてください」と呼びかけた時は、なんと、参加した保護者の8割から9割が挙手してくださいました。中には、隅から隅まで読んでくださっている方がおられ、私が忘れかけていることまでお話しくださることがあります。そんな、校長ブログファンならご存じの、本校7期生の戸堂先生からメールをいただきました。ご出身の大阪歯科大学テニス部の100周年記念誌の巻頭言を書かれたそうで、文章と写真を送っていただきました。

 私は、それを読ませていただいているうちに、戸堂先生の人生の岐路は三国丘高校3年生に訪れていたんだと思いました。時代が違うので、今の高校生に当てはめるのは適当ではないと思いますが、自分の人生を決める決断の時はいつ来るかわからないという好例だと思いました。先生の文章から抜き出してみます。

 (前略)三国丘高校は、旧制堺中時代からから、硬式テニス部は伝統があり、全国制覇を個人と団体でしていた。入部した新入生は粒揃いで、切磋琢磨して全国制覇を成し遂げた。そんなことから、慶応大学と早稲田大学が勧誘に来て、担任の先生に「どっちが良いか」と相談。答えは「バカ!親が歯医者だから大歯(大阪歯科大学)に行け」で、大歯のテニス部に入学。(中略)私はいまだに、近くの浜寺公園テニスコートで、介護テニスを教えたり教わったり。米寿までテニスを続けられたことに感謝、感謝。みなさん、後に続いてください。

 戸堂先生は、大学卒業後30年の長きにわたり、日本テニス協会公認の指導者として母校テニス部の指導にあたられました。その間に、インターハイ準優勝(ダブルスで2組)や大阪代表の国体選手(5~6名)を育ててこられました。その間、部員への指導の中で上記のお話をよくされていたそうです。教え子の中には、教職の志望を曲げて老舗の蕎麦屋を継ぐことで社会貢献されている方もいるそうです。悩みながらの決断だったと思いますが、自分で結論を出したからこそ、その後の人生が輝くのだと、私は思います。戸堂先生からいただいたお電話で仰っていたのは「文武ともに度が過ぎたらダメ、酒も同じようにダメ」ということです。ついつい呑みすぎる私に教訓をいただいたと思っています。ありがとうございます。

(今の)生徒たちには、将来後悔しないように、自分の心に正直に決めるように言っています。戸堂先生は、担任の一言で進路が急展開したように書かれていますが、自分で納得して進まれたからこそ、今の戸堂先生がおられるのだと、私は思います。親子ほど年の離れた若造が、偉そうなことを言ってすいません。私も、戸堂先生のような米寿になれるよう頑張ります! 

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