昨日、2年生の保護者参観と学年連絡会がありました。お越しになれなかった保護者のために写真を撮りましたので、ご覧ください。
廊下を歩いていると、たくさんの保護者が教室の後ろに立って授業をご覧になっているのが見えました。立って見ていただくのは申し訳ないなぁと思いながらも、生徒の学習に影響しないようにするには、人数制限をかけて教室内でみていただくほかに方法はないと諦めました。学校として、生徒を一番に考えるという方針をご理解いただいた保護者のみなさんに、心から感謝申しあげます。
右側の写真は、授業の最初に小テストをしている様子です。黒板に問題とタイマーを映し出して、制限時間内に解いている様子です。この時間に小さな音でBGMが流れているのが斬新だなぁと思いました。左側は、写真を大写しにして説明している様子です。昔なら、「資料集の〇〇ページを開いてください...」みたいな声が聞こえてきそうな場面ですが、授業の形も随分変わりました。この日の2年生の教室は、ほとんどのクラスで何かを黒板に投影していました。下の写真は、廊下に出した机の上に置いてあった資料です。
下の写真は、廊下に貼ってあったので読んだら、面白過ぎたので、思わずシャッターをきりました。修学旅行のキャッチコピーのようです。「君が手繋いでたの、俺じゃなくてスーツケースだった」...青春は夕焼け空のように儚くて美しいですね!
最後の写真は学年連絡会です。保護者のみなさんで視聴覚教室が満席になりました。2年生ともなると、科目選択の話やら修学旅行の話やら、保護者にとってみれば気がかりなことばかりです。メモをとりながら真剣に聴いてくださっている保護者のみなさんの様子を見ているうちに、かつての自分を思い出しました。親の意識の中では、子どもはいつまでも子どもであり、もしかしたら、頭のどこかで「ずっと子どもでいてほしい」と思っているのかもしれません。自分もつい最近までそう思っていたのかもしれません。「あいつ(我が子)のことだから、あんなこともこんなこともきっと気づいていないはず」とか「あいつは、あぁ見えて結構いい加減だから」とか、先回りして心配することが多かったように思います。しかし、先日電話があって「親父、無事に出産が終わったで。3人めの孫は男の子や」ときいたとき、あぁ我が子も親になったんだなぁと思いました。そして、その瞬間、先回りして心配するのは余計なお世話だと自覚しました。偉そうなことを言ってすみません。親の先輩としてひとつだけ言わせてもらえば、子どもはいつか親を超えていくものだということです。誤解を恐れず言うと、親は、親であり続けたいがために、子どもを子どもとして扱うのかもしれません。わが身を振り返れば、まさにそうでした。高校生は子どもといえばそのとおりですが、子どもの失敗も成功も全部受け止める覚悟を持って、そろそろ、我が子を一人前の大人として認める(尊敬する)練習をし始めても良いのかもしれません。偉そうなことを言ってごめんなさい。いろんな想い出が浮かんでは消える、感慨深い時間でした。