てのひらの小説 『輝く町』 ZACK

てのひらの小説をお送りします。 いじめに遭っている少年には、ひとつの楽しみが。その日がやってきます。......

 

 『輝く町』  ZACK


 きつい日差しがじわじわと照りつける中で新学期が始まり、早くも一週間が過ぎていた。
 滴り落ちる汗をぬぐいながら教室に入ると、すでに教室内にいた生徒数名らがクスクスと笑いながら俺にじろりと視線を向けてきた。
 じっとり張り付く嫌な視線を無視して自分の席に着く。机の中は案の定、中庭あたりから拾ってきたであろう泥やごみで埋め尽くされていた。
 俺はため息をついて、自宅から持ってきた袋に、それらを移し始める。
 いったいこの作業は、この学校に入ってから何回目だろうか。

「角谷 彩樹(すみや さいき)がクラス内でイジメにあっている」というのは、今となっては周知の事実だった。他のクラスのやつら。このクラスの担任。俺の親。みんな気づいてはいるんだろう。俺とすれ違ったり、目が合ったりする度にいちいち不自然な態度をとるのだから。
 俺が傷だらけで登校してきたときに、他のやつらは大方気づいただろう。親ならなおさらだ。俺は今まで数えきれないぐらいの傷をこの身に受けてきた。
 こいつらが俺に介入しないわけ。そんなものはひどく単純でわかりきったことだった。面倒事は避けたがるのが人というもの。そして、誰かがイジメの対象になるのに理由はいらないということもわかっている。
 いつ、何がきっかけで、どうして俺がその対象となってしまったのか。そんなことは何も分からないまま、気が付くとそうなっていた。
 始めは驚きと悲しみでどうにかなってしまいそうだった。実際俺は少しの間「気分が悪い」と言って学校を休んでいた時期があった。母親はというと、特に何も追求してこずに「そう、わかった」と実に簡素な返答を返してきただけだった。
 しかし今は、日々が少し楽しみなのだ。
 小学校のころ、一番の親友であった坂田 祐晴(さかた ゆうせい)が久しぶりに親の転勤先から戻ってくるという連絡があったからだった。戻ってくるといっても次の三連休になので、ここに滞在する期間はわずか二日ほどではあるが。後にも先にも、あいつほど気の合うやつはきっといない。俺の今の状態を知って、気にかけてくれるのもあいつだ。会えるんだと思うと楽しさでいっぱいになる。
新学期が始まった初日から、いつもと同じようにイジメも再開されたが、その楽しみのおかげで前ほど辛いとは思わなかった。
 机の中の泥やごみを、ごみ箱へ捨て終えたところで丁度チャイムが学校中に響いた。

 一日が終わるのは早い。下校時に階段の踊り場で絡まれ、腹に一発いれられたが、それもいつものことなので気には留めない。しかしその一発が思いのほか重く、腹部をさすりながら帰宅した。
「ただいま」
 言うだけ言ってみるが、母からの返事は無かった。日頃から母との会話は必要最小限だけだった。もともと家内のことには無関心であったし、俺がイジメられていることを現実として受け止めたくないからだろうか、前に居間で授業参観の話をした後、クラスの連中の話をしようととすると、聞こうともせずに奥に引っ込んでしまったことがある。
 俺は返事が無いのも特に気にせず、自室へ行ってすぐベッドに横たわった。そのまま寝てしまおうかとも思ったが、不意に携帯が振動したのでポケットから取り出して開いてみる。受信ボックスには「坂田 祐晴」の文字があった。
『よう。実は父さんの仕事の都合で予定より早く行くことになったんだ。次の三連休じゃなくて、その前の休みになるから、今週だな。明後日あたりにはそっちにつくと思う。そしたらまず一番にお前の家に行きたいんだけど、大丈夫か?』
 俺はベッドから飛び起きた。腹に痛みが走ったが気にしなかった。大丈夫、と送信する。今からわくわくしているのが自分でもわかる。修学旅行に行く前の日のような気持ちだ。しばらくして祐晴から返信が来た。
『わかった。久しぶりに会うんだから、目いっぱい遊ぼうな!』
 俺も「了解」と返して箪笥から着替えを引っ張り出し、素早くそれに身を包んで布団にもぐりこんだ。
 祐晴が来たらまず何をしよう。近くのゲームセンターにでも行こうか。どこかのファーストフード店でご飯を食べよう。友達と遊ぶ計画を練るのって、こんなに楽しいものだったか。
 俺はその日の晩、あまり寝付くことが出来なかった。

 土曜日、約束の日の朝が来た。前日の晩はメールが来た日よりも更に寝付けず、結局夢の中に入ったのは夜が明ける少し前だった。しかし不思議と眠くはない。
 着替えを済ませ一階に降りると、母は誰かと電話していた。俺に気づくと、少しして電話を切った。
「もう祐晴くん、ここに向かってるんですって」
 母はそれだけ言うと奥の部屋に引っ込んだ。俺は祐晴から連絡が入ってないか確認しようと携帯を取り出した。玄関の呼び鈴が鳴ったのは、それとほぼ同時だった。携帯を手に握りしめたまま玄関へ急ぐ。
 ガチャ、と勢いよくドアを開けると懐かしい顔が目の前にあった。
「久しぶり、彩樹」
「ああ、久しぶり」
 本当に楽しみにしていたのだから、もう少しそれを表に出したほうがいいのかとも思ったが、「久しぶり」以外言葉が出ない。俺はとりあえず祐晴を家に上げようとした。すると祐晴がそれを制した。
「そっちがいいんだったら、行きたい場所があるんだけど、今から行かねえ?」
「そっか...。わかった」

 祐晴と俺は一駅分電車に乗り、ある小高い丘のようなところに来た。そこからは、自分の住んでいる町が一望できる。きっと夜は絶景だろう。こんな場所があったのかと思いながら、適当な日陰に二人とも腰を下ろす。
「本当に、久しぶりだな。本当に元気にしてたか?」
「...ああ。祐晴はどうなんだよ」
「初めはいろいろあったけど、今じゃ慣れた。町にはいい人がたくさんいる」
「へぇ」
 少し話して、また沈黙。それを何回か続けている。だけど決して居心地は悪くない。むしろ安らぐぐらいだ。ここでは気を張る必要がないからだろうか。
「なあ彩樹、俺、多分もう遊びにこれないかもしれない」
 祐晴の言葉にどきりとした。もうここには来てくれない。突然の告白に、震えそうになる手をぎゅっと握りしめる。なんとか「え、何で?」となんでもない風に返した。どうやら、親の仕事先の忙しさが尋常でないらしい。今回の帰省も、ぎりぎりな合間を縫ってきてくれたんだそうだ。
「...そうか。ありがとうな、今日は来てくれて」
「いいよ。お前は毎日、学校行って、帰るたびにウンザリしてんだろ。たまには息抜きしなきゃな」
 そういって祐晴は立ち上がった。俺もつられて立ち上がる。すると手を引っ張られ、祐晴は突然走り出した。

 それから、様々な場所を二人で巡った。ゲーセン、映画館、商店街、いろんなショップ。自分の町に、こんなとこがあったのかと感心するぐらい、隅々まで満喫した。気が付けば、空は赤紫に染まっていた。
「もうそろそろ時間じゃないのか?」
「大丈夫、まだいける。最後に行きたいとこあるんだ」

 俺達は、最初に祐晴と来た丘まで再び戻ってきた。空は完全に日が沈んだようで、真っ暗になっていた。
「もう少しかな」
「何が?」と聞き返そうとしたとき、丘から見える町の景色が一変した。その光景を見て俺は言葉をなくした。町の明かりという明かりが、一斉に灯り始めたのだ。
「この時間帯から店の看板とか、道路の街灯が一斉につくんだ。間に合ってよかった」
 この光景は写真なんかじゃ、きっと納まりきらない。肉眼に焼き付けたいと思った。俺が町の景色を食い入るように見つめていると、祐晴が俺に向き直ったことに気づいた。俺も顔を祐晴の方に向ける。
「俺、実は結構悩んでたんだ。今辛い状態のお前に、何してやれるんだろって。結局、こんなことしか思いつかなかったけどキレイだろ?」
 祐晴は顔を町へ向けた。俺もまた幻想的な景色を見渡す。
「辛いって思ったら、この景色を思い出せよ。俺のことも、できたら一緒に。支えてやるから、一人で踏ん張るなよ」
 その言葉を聞いた瞬間、俺の視界が途端にぼやけた。頬を何か冷たいものが伝う。それを流すのは、久しぶりだと思った。俺はただずっと、景色を見つめていた。

 家に帰ると、祐晴の両親が母と話していた。明日の朝早くにここを発つらしい。家の前で親達が挨拶をする。
「彩樹、これ。今日の記念に」
 祐晴が俺に手渡してきたものは、今日ゲーセンで祐晴が取ったマスコットだった。「じゃあな」と言って祐晴達は車に乗り込んだ。俺は車が見えなくなるまで、ずっと去って行った方向を見続けた。

 月曜の朝。俺はいつも通り用意をして家を出た。道の途中で、思い出したようにポケットを探った。中にあったものを引っ張り出すと、この間のマスコットだった。俺はそれを強く握りしめて、一歩踏み出した。
 顔を上げると、目の前にはあの日キレイな輝きを見せた町が広がっている。

                                                  〈 おわり 〉