てのひらの小説 『待機』  都

てのひらの小説第四弾です。 店の前にたたずむ「私」。いったい何を待っているのでしょうか。胸を打つ一編をどうぞ。

 

 待機   都
 
 全く興味のない店の前でさっきからずっと、つまらない顔で突っ立っている。やんわりと風が吹いては、太陽が照りつけ、その度に目を細めるのにもそろそろ飽きてきた。薄手のカーディガンを羽織ってきたが、六月後半なだけあって、じわじわと暑い。人が途切れることなく行き交う様子は、なんだか頼もしい、賑わう商店街の中で、一人そんなことを考えていた。向かいの精肉店の二階の窓からは、乾ききったタオルが干されっぱなしになっている。私みたいで、少し笑える。

 少しひいてしまうくらいアイドルが好きな私の友達は、さっきからアイドルの写る写真を眺めては、あれもほしいこれもほしいと言っている。私には全て同じに見えるのだけれど、友達からすれば、それらの全てに、それぞれの魅力があるらしい。腕時計の秒針がもう一度十二を指せば、私はちょうど三十分間、人が溢れるアイドルショップの前で待たされていることになる。

 思えばいつも私は待たされていた。幼稚園のゆるやかなすべり台で遊ぶのにも、姉の長い長いお風呂にも、母が帰ってこなくなった夜も。あの日私は朝まで、帰ってこない母を待っていた。何度父に寝なさいと言われても、寝室に行こうとしなかったし、当時高校生だった姉も、いっこうにリビングから動こうとしなかった。その翌日に突然帰ってきた母はすぐまた荷物をまとめて家を出た。玄関で私と姉に向かって、ごめんねと言う母を見たとき、中学生だった私はぼんやりと、もう母はこの家には帰ってこないんだ、と思った。次の日から、唐突に父と姉と私の三人だけの生活が始まった。父が作る食事は、そんなに美味しくないわけでもなく、私たち三人は、すごい速さで、母のいない生活に馴れた。お風呂掃除は姉がしたし、洗濯は私がした。どれも皆それなりにうまくこなせた。けれど眠る前にふと母がいた頃のお風呂場や玄関、家の隅々などを思い出しては、もう二度と戻ってこないであろうということを確信し、泣きたくなった。姉が布団の中ですすり泣く声もまた、私を悲しくさせた。父は私たちに、母のことを何も言わなかった。そして私たちも、何も聞けなかった。

「お母さん、浮気してたみたいだよ」
 夏休みの宿題に飽きてかき氷を作ろうと、屋根裏からかき氷メーカーを引っ張り出している最中だった私に姉が言った。私は呆気にとられ、しばらく固まった。
「三十くらいの男のとこに行ったんだって。四十過ぎのババアがさ、家族も全部捨てて。なんか、すごくバカみたいじゃない? ねえ、ほんっと、バカみたい。」
 姉は泣いていた。私は一気に食欲をなくし、屋根裏から出て、トイレに向かった。七年ぶりくらいに吐いた。
「お父さんもとめればよかったのに、とめようと思えば、いくらでもとめれたじゃない、二人してバカなことしないでよ、私たちの気持ちはどうなるってのよ!」
 姉が泣き叫ぶ声を耳の奥の方で聞きながら、私は吐き続けた。ドラマに出てきそうなセリフを叫んでいる姉が、妙におかしかった。

 それからあっという間に姉は大学生になり、私は高校生になった。私はまだ、母を待ち続けている。いつか突然帰って来て、全て嘘だったと笑ってくれる母を。姉は、あのときのことはなかったかのように、あるいは全て記憶から消してしまったみたいに平然と暮らしている。三十過ぎの男と浮気して家を出た母なんか、元々存在していないのだというように。泣き叫ぶ姉は、あの日以来見ていない。姉に謝る父の後ろ姿も。一体私はいつまで母を待ち続けなければならないのだろうか。三十過ぎの男と暮らす母を想像するのは、至極難しかった。母は私を捨てたのだろうか。それとも、私を待たせているのだろうか。

 ふいに強い風が吹いて、干されっぱなしになっていたタオルが、ふわりと宙に浮いた。そのままタオルは風に乗って、飛んでいってしまった。時計を見たらもう五十分も待たされていた。ふと、何をこんなにも待っていたのか、わからなくなった。私が待っているのはアイドルショップで楽しそうに笑う友達だろうか、それとも浮気をした母だろうか、あるいは、浮気をする前の母なのだろうか。唐突に全てがどうでもよくなった。このまま私はあのタオルのように干からびていくのだろう。待たされるのはもううんざりだ、そう思いながらゆらゆらと飛んでいくタオルを追いかけるようにして、私は一歩ずつ歩きだした。

                                                                   〈 おわり 〉