恥ずかしながら、私は、堺大空襲のことを何も知りませんでした。堺大空襲とは、太平洋戦争の末期、1945年の7月10日未明にアメリカ軍によって行われた、堺市中心部への無差別攻撃のことです。この空襲により堺市中心部の6割以上が焼失し、多くの市民の方々が犠牲になりました。
堺市では、堺大空襲の記憶を後世に引き継ぐために、この空襲を経験した語り部さん(堺大空襲を実際に経験された方々)に当時のことを語っていただき、戦争の悲惨さや平和の大切さを伝える言葉を記録する取組を進めているそうです。
今日は、その取り組みの一環として、J:COMのディレクターとカメラマンが来校されました。私は、本校の歴史に詳しく、日頃から資料室の管理をしてくださっている、三丘同窓会の藤田さんに来てもらうことにしました。私ではとても対応できないと思ったからです。
藤田さんにはたくさんのことを教えていただきました。ディレクターも私も知らないことばかりでしたが、一番印象に残っていることは、B29戦闘機の爆撃で市民病院が大きな被害を受け、一時、三国丘高校の校舎が仮の病棟になったことがあるという話です。建て替えによって、病棟になった校舎を見ることはできなくなりましたが、三国丘高校の130年の歴史の中には、そんな時間も含まれているということが理解できました。
今日の取材等をもとに制作される動画は、堺市のホームページからも視聴できるようになるそうです。私は今日、自分が立っているこの場所で起こったことを教えてもらい、そこにいた人たちはみんな一生懸命生きようとしていたのだということを知り、自分の中の何かが変わったような気がしています。ありがとうございました。