4月27日(月)

<認知する>

昨日、夜に今年の全国高等学校総合体育大会の中止が決定しました。今年は、東京お員ぴく・パラリンピックの関係で、全国で分散開催の形で実施する予定でした。大阪でもボートが実施される予定でしたが、新型コロナウイルスの収束のめどがないため、中止となりました。賢明な判断ではないか、と思います。これをどう高校生が受け止めるかです。高校3年生にとっては最後の大会ですが、その判断を受け止めるのは、主人公である高校生自身です。最もよくないのは、中途半端な決断だと思いますが、それは回避できたはずです。この事実をしっかりと認知して、自分に求められているものが何なのかを判断することです。競技生活を高校生3年生で終えようと思っていた人もいるかも知れませんが、この先の道も続いているのは確かです。一瞬を嘆くよりも、先をしっかりと見つめて歩みを進めて欲しいと思います。そして、それらの心をしっかりと受け止められるのは、競技者の側にいる仲間、皆さん自身なのではないか、そう感じます。何年か経って、振り返った時に得たものに気付くかもしれません。何かを成し遂げる際には、自分でも気づけない大きな代償を払っている場合もあります。それに気付けたら、何も迷いなく生きていけるのでしょうね。

さて、また<化学>に戻りました。前回は物質の分け方でした。濾過、抽出、昇華、蒸留、クロイマトグラフィーについて、身近なものはないか、という質問でしたね。何か思いつきましたか?

まずは、濾過ですが、最も身近なのは「コーヒーのドリップ」でしょうか。これには濾過以外にも分離が関わっているのですが、コーヒーフィルターを通して、引いた豆と液体成分を分けていますね。こうやって液体と固体が混ざっている際に、二つを分けるために使います。次に抽出です。コーヒーもそうです。豆の中からあのコーヒーの苦みと酸味と色を取り出していますね。これはコーヒーの中の成分を取り出したものです。他にも日本茶や紅茶もそうですね。成分を取り出す方法として使います。次が昇華ですが、なかなか見つかりません。身近なものにドライアイスがあります。個体から期待に姿を変えるのですが、ドライアイスに不純物が残っていたら、ドライアイスが昇華した後に不純物が残りますね。この性質を利用して、再度二酸化炭素を昇華させたら純粋なものを得られます。昔は、指紋を採取するのにこの性質を利用していました。今はやっていませんがね。次が蒸留です。これは、コンタクトレンズに使う蒸留水を作るのに用います。例えば、水は100℃で沸騰し、アルコールは76℃で沸騰します。二つが混ざっている水を熱したら先にアルコールが蒸発しますね。ここで、その蒸気を集めると純粋なアルコールを集めることができます。これを何度も繰り返すと一つの成分から多くのものを分けることができます。分留と言いますが、原油からいろいろな成分を集めるのに使います。最後はクロマトグラフィーです。刑事ドラマなどで出てきます。遺留品に付着していた成分を分析するのに、機械にかけて成分分析をしていますよね。あれはガスクロマトグラフィーの原理が使われているはずです。成分をガスにしてから分析しているのです。こうやって、多くの化学知識が日常で使わているのです。こうやって考えると、世の中には純物質ってほとんどないことに気付けますね。

では、このような物質の基は何なんでしょう。実は元素といいます物質を構成する基本的な成分をさします。我々がよく使う「元素記号」などで表現することができます。例えば、酸素は「O」で示しますし、水素は「H」ですよね。さらに物質を考えて行くと、もうそれ以上細かくすることができない「原子」から作られていることもわかっています。この原子が組み合わさって、世の中の物質ができているのです。では組み合わせを考えみましょう。例えば、人は酸素なければば生きていけません。ここで、言う酸素は原子の組み合わせ言えば「O」が二つくっついてできています。では、水は・・というと、「O」一つと「H」二つがくっついてできています。前者のケースを単体といい、後者を化合物と言います。では、今日の質問です。「単体」と「化合物」を言葉で説明するとどう表現したらいいでしょうか。また、世の中にはいろいろなものがありますが、単体と化合物の二つに分けるとしたら、何が単体で何が化合物にあたるでしょうか。考えてみてください。結局質問は二つになりましたね。

でも不思議ですね。以前も記載した通り、世の中には100種類以上の原子が存在しています。これらの原子はどこで生まれたのでしょうか。先日、地球と同じような環境にある惑星が発見されました。その惑星の年齢まではわかりませんが、この新型コロナウイルスで人々の自粛が始まって、明らかに自然が回復しているのがわかります。この事実を私たちはどう受け止め、どう生活を変えいくのか、そこが問われているのかも知れません。そして、いつか新型コロナウイルスが収束して、通常の生活に戻ったとき、同じことを繰り返さないようにしなければならないのではないでしょうか。