てのひらの小説 『浮遊』(上) 都

 昨年、『待機』を寄せてくれた都さんの新作30枚を、3回に分けてお送りします。 浮遊、とは?......

『浮遊』 (上 1/3)  都


「あたし、少しだけ浮いてるの」
 同じ中学校に通っていた藤川さんに、十九歳になったばかりの春、近所のスーパーでばったり会って、しばらく立ち話をした後いきなりそう言われたとき、私はとりあえず藤川さんの足元をよく見た。
「う、浮いてないよ、多分」
 あまりに説得力のある言い方をされたせいで、もしかしたら浮いてるのかもしれないと私は少し不安になり、つい弱気な声が出た。もう一度足元を見てみたけれど、一ミリたりとも浮いていなかった。藤川さんはこんなことを言うような人だったっけ、そう思いながら私は藤川さんの履いている先の丸い黒いパンプスを見ていた。

 藤川さんと私は何の接点もなく中学三年間を過ごした。廊下ですれ違っても挨拶すらしないような関係で、唯一名前だけは知っていた。だから私は藤川さん、と少し距離のある呼び方をするし、藤川さんはきっと私を上村さんと呼ぶだろう。(私たちが名前を呼び合ったことはない、というよりも話したことすらない)
 私は中学生のとき、全く目立たない生徒だった。先生からも忘れ去られているような(実際卒業して二年後に中学校を訪れても全く歓迎されなかった)暗い感じの、いわゆるインキャラと呼ばれる種族に属していた。そして、私と正反対の場所に藤川さんはいた。
 赤茶色い髪の毛にピアスが沢山ついた耳、思わず二度見してしまいそうなくらい短いスカートにきつい香水。藤川さんはヤンキーだったのだ。地味で暗かった私と接点なんて、あるはずがない。だからスーパーで急に話しかけられて、心底驚いたのだ。
 「元気してた?」
 そう言って笑う藤川さんは、中学の時と全く変わっていないけれど、何かが大きく違っている。それは大幅に変わった見た目かもしれない。腰まで伸びきった真っ黒な髪の毛や、ジーパンにTシャツという中学時代の藤川さんならありえない服装をしていることに、違和感を覚えずにはいられなかった。
「元気だよ」
 笑顔で言ったつもりが、うまく笑えていなかった。その証拠に藤川さんは首を傾げる。
「上村さん全然楽しそうじゃないけど」
 藤川さんが私に笑いかけているこの状況が、不思議でたまらない。
「ね、上村さんって今幸せなの」
 そう聞かれて私は一瞬にして、分からなくなってしまった。自分が幸せかどうかなんて分からない。考えたこともなかった。藤川さんはとびきりの笑顔で、うつむいて考え込む私を見ていた。そうして沈黙を破るようにして藤川さんは私に「浮いてる宣言」をしたのだ。全くもって意味が分からなかったが、とにかく藤川さんの身に何かが起こったのは確かなことだろう。
 その日はなんとなく気まずくなって、大根や人参が並ぶ棚の前でそそくさとアドレスを交換して別れた。藤川さんのメールアドレスを十九歳になって手に入れることになるとは、思いもしなかった。

 今日の朝ごはんのことを考えながらきっと藤川さんから連絡が来ることはないだろうと思った。三つ入りで九十円のチョコクロワッサンを手にして、カゴに投げるように入れる。コーヒー牛乳もカゴに入れた。とりあえずスーパー内を一周したが、結局さっきのチョコクロワッサンとコーヒー牛乳しかカゴには入っていない。
 レジに並んでいるときにまた藤川さんに遭遇した。藤川さんは私に向かってとびきりの笑顔で手を振っている。手を振り返すのも恥ずかしくて、私は小さく会釈してそのまま俯いた。

 家に帰り、リビングに行くこともなく自分の部屋に向かい、チョコクロワッサンとコーヒー牛乳をレジ袋から取り出す。テレビの前に置かれている小さい机の上にそれらを並べて、私はテレビの電源を入れる。女子アナウンサーが長崎県で長崎ちゃんぽんを食べてコメントを発する、というありがちな内容だ。女子アナウンサーは、こんなに美味しい料理を食べたのは初めてだといわんばかりの表情をしている。テレビ画面を見るともなく眺めながらチョコクロワッサンを口にした。
 私はふと、藤川さんについて考える。そもそも「浮いてる」って何なんだろう。藤川さんは何に対して「浮いてる」と感じているのだろう。全く答えが見つからず、コーヒー牛乳をすすると、もうどうでもよくなった。

 朝ごはんを食べ終わり、時計を見るともう十一時をまわっていた。重い腰を上げてトイレに向かう。便座に座って天井を見上げる。裸電球がこれでもかというくらい光っている。目が痛くなるほど長い間裸電球を見つめながら、私はぼんやりとした頭で予備校に行かなくてはと考える。予備校に行って勉強をしなくてはならない。なにせ私は浪人生なのだから。
 私は去年、受験生だった。志望校はこの辺ではトップレベルの国立大学で、私は信じられないくらい勉強した。自分でも頭がおかしくなったんじゃないかと思うくらいにひたすら勉強して、これでもかってくらい勉強しまくって、あっさりと落ちた。あまりにあっさりと落ちてしまったせいで、ショックを受けるというよりも、合否発表のあとから一ヶ月くらい、しばらく自分が生きていたのかわからない。私にはその間の記憶が全くない。そうして一ヶ月後には私は晴れて浪人生となってしまっていたのだ。
  私が浪人生になって、お母さんもお父さんもあからさまにがっかりしていた。お母さんに至っては一ヶ月過ぎてもまだ引きずっていた。そんなお母さんを見ていると、私の受験だったのかお母さんの受験だったのか、わからなくなった。
  結局一滴の尿も出ず、私はトイレを後にする。部屋に戻ると藤川さんからメールがきていた。連絡なんてこないだろうと思っていたから、私は素直に驚いた。要件は一つ、一緒に昼ごはんを食べにいかないか、だった。私は数分考え、予備校に行かないといけないからと言って断らないと、と頭では思いながら、待ち合わせ場所を確認するメールを打っていた。

                                                                   〈 つづく 〉