小説 『marquise cut diamond』

※ てのひらの小説・冬の部から。 かもさんの作品を一挙掲載します。お楽しみください。


『marquise cut diamond』   かも

 ある日の午後の事だ。
 その日は土曜日。俺はちょうど部活が終わり、帰路に着いているところだった。
 朝イチから昼中頃までやっていたから随分と疲れていて背中に背負った弓が何時もより重く感じた。運動部ってなんでこんなに疲れるんだろなー。なんて、誰に向かって言うでなし、ぼやいてみたりなんてしていたから相当疲れていたんだと思う。普段の俺は独り言なんて言わないからな。恥ずかしいし。
 しかし、後に俺は疲れていたことを感謝することになる。

 俺の家から最寄りの駅に行くまでに、小さな商店街がある。そして、それを中心に大樹の枝のように狭い路地が幾つも伸びている。その狭い路地には勿論普通の住宅もあるが、時々B級グルメやら何やら、まぁ見ただけだったら只のボロい老舗店にしか見えないような店が並んでいたりするらしい。俺は行ったことは無いが、ここら辺をよく知っているらしいおっちゃんに聞いた話、ここらの店は知る人ぞ知る名店が多い、所謂穴場ってヤツだそうだ。にわかには信じ難いが......。
 まぁ、何はともあれ。その日相当疲れていて、判断力が鈍っていた俺は、興味本意でその路地に足を踏み入れたわけだ。
 例のおっちゃん曰く、普段は結構賑わっているらしいこの路地は、何故か人が住んでいないんじゃないかと錯覚してしまうくらいには静かだった。はっきりいって少し......いや、かなり不気味だ。
 俺が歩いている路地は、路地は路地でも裏路地のような感じで、まだ昼間だと言うのに薄暗かった。その薄暗さがさらに不気味さを倍増させている気がする。
 太陽の光を求めるように空を仰げば、丸い提灯が視界に入った。どうやら路地を形成している家と家の間を縫うようにして等間隔に吊るされているらしい。昼間でさえこんなに暗いのだから、夜は恐ろしいぐらい暗いのだろう。この提灯を電灯代わりにするのだろうな、と提灯が灯されている様子を頭に思い浮かべながら路地を進んでいった。

 自分の思うがまま歩くこと十数分。帰り道に困らないように時々立ち止まっては後ろを振り返りながら歩いていたので、そんなに距離は歩いていないように思う。
入った当初は人が二人並んで歩けるか、というぐらいの狭さだった路地は、歩を進めるにつれて段々と広くなっていき、今進んでいる所は車が二台通れるぐらいの広さになっていた。
 今までの薄暗さが嘘のように明るくなり、さんさんと太陽の光が降り注ぐ。開いているのか閉まっているのかわからないような店が並び、相変わらず等間隔に吊るされている提灯が石畳に影を指す様は、自分が異世界に来たかのように錯覚させた。

 何か面白そうな店はないかとキョロキョロと周りを見渡すと、一件気になる店があった。
 いや、見た目は他の店とほとんど変わりがない。只、酷く引き付けられた。
 看板を見てみると大きく『 marquise cut diamond 』と筆記体で書いてあり、その下に可愛らしく『アクセサリー・雑貨小物』と書かれていた。
 ダイアモンド、と言うからには宝石の名前なんだろうか。なんにせよ、長ったらしい名前だ。
 ......それにしても、はてさて、どうしたものか......。
 目に留まったのはいいが、入るべきか否かで悩む。アクセサリーに興味が無いわけではないが、今は特に必要としていない。貧乏学生にとって金の無駄使いは致命傷になりうる。  しかも、売ってある物が男子も使えるとは限らない。そう言う店に入るのは気が引ける。
 こう考えていくとリスクしか無いように思えるのだが、どうにも気になってしまう。
 
 不意に「一度気になるとずっと気になることってあるじゃないですか。あれって、一期一会の精神に通ずる所があると思うんです」と語った茶道部に所属する後輩のことを思い出した。
 「人に会ったらこれも何かのご縁って言うでしょう?それはきっと人以外のモノにも言えることだと思うんです」と、普段は寡黙と言ってもいいほど静かな後輩が驚くほど熱く語ったことは記憶に新しい。
 この言葉を思い出したのも「何かのご縁」なんだろうなぁ......。
 俺は腹を括り、古めかしいドアノブを手に取った。

 店自体の外見はお世辞にも綺麗とは言えなかったが、中はそれほどではなかった。
 店内は広くないが、狭くもなく、このぐらいの店には丁度いいのではないかと思える。薄暗い店内をオレンジに近い色をした照明が温かく包み込んでおり、その光を天井にあるシャンデリアがキラキラと反射するのは星の瞬きのようにも見えた。
 店内の要所要所に小さな鏡が置いてあったり、カウンターの近くには休憩用だろうか、椅子が並べてあったりと、店内の所々には気遣いの心が見受けられ、かといって店の雰囲気を壊さないあたり、店主のこだわりが見える。
 入口近くにあった商品棚を覗いてみるとネックレスが置いてあった。男女兼用できるような至ってシンプルな作りをしている。店の様子からも見てとれるように、女性専用の派手なアクセサリーではなく、落ち着いた、少しアンティークな感じの物を扱っているらしかった。
「あら、いらっしゃい」
「のわっ!?」
 不意に背後から声が聴こえてきたので驚いてしまった。
 ......驚きすぎて変な声が出た。
 振り向いてみると一人の女性が立っていた。歳は30代前半くらいだろうか。「驚かせちゃったかしら」とクスクス笑う様子は何処か妖艶だ。
「うふふ、ごめんなさいね。何かいいものは見つかったかしら?」
「え、いや、まだ......。......此処の定員さんですか?」
「ええ、そうよ。私はここの店長。貴方は学生さんね。高校生かしら?」
「はい」
「土曜日も学校だなんて大変ね。ここにはお買い物に?」
「いえ、部活だったので。......実は、好奇心でここらを探索していただけなので特に何か買おうと思って来た訳じゃないんです」
「ふふ、ちょっとした冒険ね。ここら辺は面白いお店がいっぱいあるから飽きないわよ。きっと」
 そう言うと店長だと名乗った女性はスタスタとカウンターの方に歩いて行き「特に買うものも決まってないんだったらお喋りに付き合って下さらない?丁度退屈してたのよ」と言った。俺は特に断る理由もなかったので了承した。

 店長との会話は意外にも弾んだ。
 話し上手で聞き上手。なるほど、誰とでも打ち解けられる人種とはこういう人のことを云うのだろうなと思った。現に俺は数十分程度しか経っていないのにかなり打ち解けていた。
 話の内容は他愛もない世間話。店長は長らく此処で店を構えているらしく、ここらをよく知っていた。
 彼女から聞いた話では、ここらも昔は商店街の一部だったそうだ。しかし、住宅地の開発等の理由から取り壊されたりして廃れていったらしい。ここらに店が多いのは昔の名残、というわけだ。
「商店街だった頃に私は居なかったけどね。でも、凄い賑わいだったらしいわ」
「時代の移り変わり、ってやつですよね......」
「そうね。少し淋しい感じはするけど、仕方のないことだから......」
 そうして、沈黙が訪れる。
 沈黙が訪れると話題を振るのは決まって彼女だったが、今回は自分から振ってみることにする。
「......あの、店長さん」
「はぁい?」
「外の......看板の『 marquise cut diamond 』って宝石の名前なんですか?」
「んー。そうねぇ......。あっ、ねえ!」
「はい?」
「私って何月何日生まれだと思う?」
 ...何故そうなる。
「いいからいいから!ほら!当ててごらん!」
「えー......うーん......五月......十四日......とか」
「ぶぶー。正解は三月二十九日でしたー!はい、これ残念賞」
 残念賞と言って渡されたのは小さなチョコレートだった。
 ......全く話が読めない。
 目を白黒させている俺を見て、面白がっているのか、彼女はうふふ、と小さく笑った。
「これ、看板の意味を聞いてきた人に何時もやってるんだけど、当てた人いないのよねぇ。」
 それはそうだろう。というか、俺以外にも聞いた人がいたのか。
「......この店の名前、『マーキスカットダイアモンド』は私の誕生石の名前なの」
「もしかして、貴女の首にかけているネックレスが?」
「そうよ。よくわかったわね」
 そう言うと彼女はわざわざネックレスを外し俺に見せてくれた。ネックレスにはラグビーボール型の大きな透明の宝石がついている。
「マーキスカットダイアモンドは実は只のダイアモンドなのよ。このネックレスについてるダイアモンドのようにラグビーボール型にカットされたものをマーキスカットダイアモンドって言うの」
 自然とへぇと声が漏れた。
 宝石はカットの仕方が変われば名前も変わるのか。知らなかった。
「私はね、この宝石言葉が大好きなの」
「宝石言葉?」
「そうよ。この世の宝石には全部宝石言葉っていうのがあるの。マーキスカットダイアモンドの宝石言葉は 『温かい心・社交的』 。そして、『新たな出会い』」
「出会い......」
「出会いって一瞬のことだけど、とても大切なことだと思うの。出会いがあるから発見がある。出会いがあるから別れがある。......どれも生きていくには必要なことよね」
 ありふれたことのように思えて、重要な意味を成してる。それがあまり良くないものだったら悲しいでしょう?と、彼女は続けた。
 なるほど、こういう考えをする人もいるのか、と思った。
 出会いなんて流れるだけの些細なことだと思っていたが、そう言われてみるとそういう気がする。良い考えの変化だと他人事のように思った。
「新しいモノを買うっていうのも新たな出会い。ここで少しでもいいモノに出会えますように、っていう想いを込めて『 marquise cut diamond 』って名前をつけたのよ」
「誕生石ですしね」
「ええ、そうね。......今思えば、とても偶然とは思えないわ」
 
 ぐるり、と店内を見渡す。
ここで何人の人達が新たな出会いを経験したのだろうか。その出会いによっていい経験はできたのだろうか。
 いや、きっとできたに違いない。この店は、店長の思いが満ちた店なのだから。
 
 ふと、視界の端に光るものがあった。気になって確認しに行くとそれは黒い小さな宝石がついた小ぶりなイヤリングだった。少し値が張るが悪い品ではないように思える。
「それはブラックオニキスね。宝石言葉は『努力・思考力・楽観的・前向き』。気に入ったのかしら?」
 カウンターから店長の解説が入る。......目がいいのだろうか。よく、この距離で見えたな。
「......いや、多分俺には似合いませんよ」
「あら、そうかしら?」
 決して派手ではないこのイヤリングは自分には似合わないように思った。
 だが......。
「誰か似合いそうな人が身近にいるのかしら?」
「!?」
「うふふ......図星ね」
 ......この人は読心術の心得でも得ているのだろうか......。
 
 頭によぎった人物をそっと思い浮かべる。件の......茶道部所属の後輩だ。
 私服でも全くといっていいほど飾り気のない例の後輩に、このイヤリングは
とても似合うと思った。
「きっと、そのコはその人の所に行きたいのね」
「へ?」
「アクセサリーはね、つける人を選ぶのよ」
「人がアクセサリーを選ぶのではなく?」
「そうよ、アクセサリーが人を選ぶの。だから、きっとそのコはその人と出会いたんだろなーってね」
 この人が言うと妙に説得力があるなぁ......と思いながら視線をイヤリングに戻す。
 出会い、と言えばこの店に入るきっかけになったのはその後輩だということを思い出した。
 あいつの言葉を思い出さなければ、この店には入らなかっただろうし、そうなれば必然的にここの店長には会わず、『出会い』についての話も聞けなかっただろう。
 そう考えれば、少し値が張るのが気になりはするが、勝手なお礼、という形で買ってもいいような気がしてきた。
 何の事情も知らないあいつはきっと怪訝そうな顔をするだろうが......。
 その時のあいつ顔を思い浮かべると悪戯が成功したような気分になってきた。
 ここまで来れば決断は早い。
「店長さん。これ、買います」

「千九百八十円ね」
 やっぱり値段は高いが後悔はしていない。暫くは節約しないといけないだろうが......。
「じゃあ俺、そろそろ帰らないと......」
 先ほど外を見てみれば空は紅く染まりかけていた。のろのろしていたらあっという間に暗くなってしまう。
「そうね。そろそろ暗くなっちゃうし......。あ、でもちょっとだけ待ってくれる?」
「はい?」
「よかったら、キミの誕生日教えてくれないかな?」
「......?七月十二日......です......けど?」
「あ、ついでにそれをプレゼントする人の誕生日も。知ってたらでいいから」
「ええ......っと、確か十月二十一日......だったと思いますけど......」
「七月十二日と十月二十一日、ね。ちょっと待ってて」
 そう言うと彼女はカウンターの下に潜ってしまった。ごそごそと何かを探しているらしい。
「七月十二日......七月十二日......っと、あったあった!」
 カチャ、と小さな音をたてて置かれたのはキーホルダーだった。
 ドックタグのような薄い長方形の鉄製の板に小さな紅い宝石が嵌め込まれている。
「なんですかコレ。宝石?」
「そう。作り物だけどね。あ、これもね」
 同じくカウンターに置かれたのは、先ほどのキーホルダーの宝石部分が青い、色違いの物だった。
「こっちの紅い方が7月12日の誕生石でビクスバイト。和名は緑柱石。この誕生石を持つ人の特徴は『光と影を持ち抱き進むベテラン』で、宝石言葉は『 健康・自由人・前向き・のんびり 』」
「......特徴なんかも判るんですか......」
「うん。占いみたいなモノだけどね。結構当たるのよ?」
 あ、でも自分じゃ判んないかな?と彼女は苦笑した。
 改めて思うが美人な人だ。こういうのを大人の魅力と言うのだろうか。
「で、こっちの青い方が10月21日の誕生石でトルマリン。和名は電気石。特徴は『社交的で聞き上手な技巧派』、宝石言葉は『自立・華麗・天才肌・頭脳的』......合ってるかしら?」
「社交的ではないですがそれ以外は合ってます」
「微妙ってところかしらね。あ、因みに私は『温かいもてなしに満ちたしっかりもの』なんだけど合ってる?」
「......合ってますね。ビックリするぐらい」
「そう?お世辞でも嬉しいわ。ありがとう」
 お世辞だなんてとんでもない。恐ろしいぐらい合ってると告げれば、「あら、お上手」と返された。
 ......ナンパしているみたいだ。
「さて、そんな嬉しいこと言ってくれるキミに、この二つをプレゼント」
「えっ!?いや、いいですよ!そんな、貰えません!」
「いいのよいいのよ。実は初めていらっしゃるお客さんにはサービスであげてるものだから」
「いや、でも二つも......」
「片方は私からのお礼。お喋りに付き合ってくれた、ね?」
「でも......」
「貰えるものは貰っときなさいな!人の好意を無下にしちゃダメよ?」
 かなり強い調子で説得されてしまった。
「......じゃあ...ありがたく頂きます......」
「うん!そうしときなさいな」
 ......自分が推しに弱いことを今自覚した。

「まぁ。綺麗な夕日」
 先ほどまでやんわりとしか夕日に染まっていなかった空はすっかり赤くなっていた。気づけば、この路地は少し坂になっていたようで、夕日がよく見える。
 携帯の時計を見れば四時半を指していた。随分と長居したものだ。
 因みに先程頂いたキーホルダーはしっかりと俺の殺風景な携帯につけさせていただいた。感謝。
「じゃあ、気をつけてお帰りなさい。帰り道は分かる?」
「はい、大丈夫です。すいません、長い間お邪魔してしまって......」
「気にしないで。こっちも楽しかったし。呼び止めたのは私だしね」
「......はい。ありがとうございます。」
「こちらこそ。ありがとうございました。よかったらまた、いらっしゃって」
「はい!では、また!」
 そう言って、帰ろうとしたが少し進んでから重要なことを思い出し、立ち止まる。
「店長さん!」
「はぁい?」
「素敵な出会いをありがとう!貴女と出会えてよかった!」
 この店に、貴女に出会えてよかったと、素直な気持ちを告げれば、まさかそんなことを言われるとは思っていなかったのだろう、彼女は一瞬唖然とした顔になり、すぐに
「こちらこそ!貴方と出会えてよかった!」
 と、今まで見せた笑顔のなかで一番いい笑顔を見せてくれた。

 時々振り返りながら進んでいたが、暫くすると、ずっと手を振ってくれていた店長の顔は見えなくなった。ここからは真っ直ぐ前を向いて歩く。
 行きと同じ道を、次は逆方向に進んで行く。
 さっきまで明るく広かった道は進むにつれて暗く、狭くなっていった。
 光を求めるように空を仰げば、灯が灯された提灯が目に入る。最初ここを通った時に想像した姿とほぼ同じだったので笑みがこぼれた。
 薄暗いのも静かなのも同じなのに、行き道で感じた不気味さは何故だろうか、感じられなかった。
 
 更に進むと一気に視界が開けた。どうやら元の商店街に戻ってこれたようだ。
 さっきまでの静けさが嘘のように喧騒に包まれ、人工的な眩い光が瞳を刺す。
 後ろを振り向けば、まるで、さっきのはお前の見ていた夢だとでも言いたそうな闇が広がっていた。
 少し不安に襲われ、カバンを探ると、ちゃんと購入したイヤリングが入っている小さな紙袋があった。
 よかった、夢じゃない。と脱力し、紙袋を見つめる。
 ――― 一瞬だけ、持つべき主人との出会いが待ち遠しいと言いたげに、紙袋にプリントされているマーキスカットダイアモンドが光ったような気がした。

                                              < 了 >