小説 『ガスマスクでもおk?』(後編)

<前編からお読みください。>

『 ガスマスクでもおk? 』(後編)  飽和コーヒー

 

ドターン!

ダンボールに躓いてしまった。相当走ったから疲れたのだろう。
「霧島さん...だいじょ...えッ!!?」
「いててて...。」
ふと見上げてみると、僕がこけた拍子に霧島さんのマスクがはずれている。僕は霧島さんの素顔を始めてみるわけだが、なんというか...。
「......。」
可愛い。きれいなまつげにうるんだ瞳。唇は健康的なピンク色だ。マスクをつけた状態だとスタイルしかわからなかったが、顔をみた途端に霧島さんに対するイメージがガラッとかわった。
「......。」
「そっ...その...あまり見ないで...。」
「あぁッ!ごめん!」
「い、いや。いいの...。」
思わず見とれてしまった。実際の声も可愛らしい女の子の声だった。本当にびっくりした。ガスマスクなんかするから変な子なのかなと思っていたら大違いだった。そしてこの顔をみるのが最後なのだろうかと思うと...。
「あの...。それでなに?」
「え?あ、あぁ...。というより、マスクつけないの?」
「う...。うんとね...。」
「あぁ。話したくないならいいんだ。」
「いや、ごめんなさい、話すよ。」

「私はゲームが大好きなの。カードゲームや、アーケードゲーム。オンラインゲームもしてた。特にアーケードなんかではしょっちゅうランキングで名前を残していた。でもお父さんとお母さんがそれを知っちゃって、ゲームなんかするなって言うの。しばらくして両親は出張に行った。もちろん私はゲームをいっぱいした。でもね、オンラインゲームで大会にでているのをお父さんに見られちゃって...。怒られると思って携帯も買い替えたし、住むところもアパートにしたわ。それでもお父さん追ってくるもんだから、変装して、ほかの家にすもうかって思ったの。それで...うちにはガスマスクくらいしかなかったから...。」
「逆にガスマスクがあったんだ。」
「う、うるさい...。」
「はははっ。いやぁ、そんな理由だったなんてね。まあそんなことならいいよ。僕のうちの両親も海外に出張中だし。当分は帰ってこないだろうしね。」
「本当に...いいの?」
「うん。いつか仲直りできるといいね。」
「ありがとう...。」
霧島さんが安心している時の表情をみて、思わず僕も笑ってしまった。そのあと僕は里美のことについて話した。
「...てなわけなんだけど。」
「ひどいね...。まあ、私もひどいことしちゃったけど・・・。」
「しょうがないよ。普段は普通なんだけどね。あのときの遠足は最悪だったよ。」
「フフフ。」
「どうしたの?」
「いや、おかしい話しだなって。」
やっぱり普通の女の子だ。そういえば顔を隠してしゃべらずに共に過ごしてきたとはいえ、初対面だ。こんなに普通に話せるものなのだろうか?僕なんかに自分の素姓を明らかにしていいのだろうか。そういった疑問がふつふつと僕の中で湧きあがった。
「霧島さん。」
「なに?」
「霧島さんってさ、なんで僕の字が読めるの?」
「え...?」
「僕にもいろいろ話してくれたし...もしかしてどこかであったことある?」
「...ないよ。」
「ん?」
「あったことはないよ。それに、いままでやさしくしてくれたし、そのおかげでお父さんにみつからずに済んだ。だから事情はちゃんと説明しとかないとまずいかなって...。」
「あぁ。そうなんだ。」

―あったことはない。―
僕はその一言に一抹の疑問を覚えた。僕はあの字を読める人を里美や家族以外に知らない。かといって僕の記憶が完璧であるともいえない。だが初対面でないことは確かだ。初対面でこんな字を出そうものなら、異国の血を引いているだとか、麻薬をヤッて文字がおかしくなっているだとか言われかねない。だとしたらなんで...。
「えっと...その、これからもよろしく...。」
「え?あぁ、よろしく。」
握手しようとしたその時―
「ああああぁぁぁ~~!!うえええおおおおぁっぁぁぁ......。」
まずい。里美が嗅覚を取り戻したみたいだ。「うええええ」ということは吐いたんだろうか。汚いよ里美さすが汚い。
「霧島さん。静かに。里美が来てる。」
「う、うん。」

ガタン ガタン ガタン

自分の体を壁にでもぶつけているのだろうか、時折そんな音がした。
「目...みえてないのかな?」
「そう...みたいだね。」
まるでゾンビだ。この世界に血をなめただけでゾンビに成り代わる人間がいるのだろうか。いたらみてみたい、というのがセオリーだが実際いるのだから困る。さてどうするかな...。
「河原君」
「どうしたの?」
「これなんかどうかな?」
霧島さんの手には胡椒が握られていた。なるほど。こいつでにおいを紛らわせるわけか。
「やってみようか。」
「うん。」
とりあえず倉庫の扉を開けた。すると里美が扉の音に気づいて、こちらに歩み寄る。そこで僕は胡椒の蓋を向こうに投げて、さらに里美が立っている地面に瓶を叩きつけた。しばらくするとあたりに胡椒が充満し、里美の嗅覚を狂わせる。
「ああああああ!......は、は、は!!」
よし。いまのうちに。
「霧島さん!行こう!」
「うん!」
胡椒のおかげでしばらくはおってこないだろう。次は終礼の時間だからおそらく里美には見つからない。ひとますは安心だ。
「は!は!は!」
里美がくしゃみをしようとしている。そこはちゃんと人間らしいのだからびっくりする。
「い~っきし!!」
そのくしゃみにまたぼくはびっくりしてずっこけてしまったのであった。


「さむいね...。」
「コーホー...。」
放課後は霧島さんと一緒に帰ることになった。ああ...霧島さんすごく可愛かったのに...。
「霧島さんさ...。」
「コーホー...。」
「二人なんだし、マスクはずしてくれてもいいんじゃないかな?」
霧島さんは右手を左右に振った。外に霧島さんのお父さんがいるかもしれないのか。霧島さんも霧島さんだが、お父さんも執拗なひとだな...。とりあえずうちにいって、話ができるような状態にしないと。
「んふっ。んふふ、ふ、ふ、ふ、ふ......」
もしやこの声は―
「んひゃああああああああああああああああああ!!!!おおおおお、お外!!お外お外お外お外お外お外お外おおおおおおオオオオォォォ!!!」
ああ...ここに来るまでにどれだけの人をなぎ倒してきたのだろう。里美のシャツの袖が破けて、ボタンが豪快に空いていてすごくワイルドになってる。胸元が少し空いているところにまったくエロスを感じない。いや、感じられない。だって完全におかしいんですもの。
「ンヒイイイイイイイイィィィィィ!!!お外気持ちいいいいいいいいいいいいい!!おかしくなっちゃうよおおおおおおおお!」
だめだこいつ。もうどうにもならない。とにかく家に猛ダッシュしないとまずい。霧島さんと僕は全速力で走った。
「はぁっ...はぁっ...」
「コーホー...」
「待ってよおおおおおおおお!!もっと...もっとちょうだあああああああああい!!」
嗚呼...お母さん...。僕は今、四足歩行で迫りくるゾンビ系女子から逃げています。どうかお母さん、出張中はご無事で...。
「コーホー...」
霧島さんが急に止まりだした。なんだろう。
「うおおおおおおおおお!!や、やめてくれえええええええええ!!」
「はぁ...はぁ...んふふふふふ...♪いただきまぁ~す...。」
「ああああああああああああ!!!もう...おむこに行けねぇ...。」
あれはテニス部の卓郎じゃないか。ああそうか獲物が変わったんですねわかります。明日理由を説明してやるから今は黙って血でも吸われててください。

卓郎君の親切な協力によって、僕たちは家に帰ることに成功した。
「はぁ...はぁ...大変だったね。」
「そうね...。里美さんって生まれつきああなのかしら?」
「僕はあいつが幼稚園のころから一緒だったけど、あったときからそうだったな。」
「あの様子だとレバーなんか食べたら大変なことになりそうだけど...。」
「ああ。そうだけど、逆にほかの奴の血を求め始めたらレバーをあげるんだ。」
「ああ...。なんかすごく納得がいくわ...。」
里美が暴走状態のときはレバーをあげる。そうするとどうなるか。

 立ったまま笑って動かない。

命は確実に助かるが、その笑い声に心臓は忙しくなることだろう。正直に言うとこれは最終手段だ。今日やった嗅覚を消す方法もあるが、たいていの場合レバーで落ちつく。というかなんでこんなこと考えてるんだろう。幼馴染が暴走した時の対処方なんて今どきの子は考えないだろう。
「今日は大変だったわ...。」
「だろうね。今日は里美がすまなかった。」
「ううん。助かったわ。それよかちょっとパソコンかしてくれない?」
「パソコン?なにするの?」
「ひさしぶりにゲームしたいの。」
そうだった。この子はゲーマーだった。まあ僕も人のことは言えないだろうけど。父親に追われている身だし、確かにほとんどゲームをやる時間がないかもしれない。
「ああ。いいよ。どうぞ。」
「ごめんね。さすがに長いことやってなかったから。」
そういうと霧島さんは慣れた手つきであるオンラインゲームを立ち上げた。
『レインボーバレット』というゲームだ。僕もこのゲームをやっている。母から渡されている生活費に余裕があれば、たまに課金もしたりしている。中学時代からやっているので、いまでもなかなかやめられずにいる。このゲームはアクションRPGで...。
「ええと。IDなんだったけかな~」
剣がまったくでない珍しいゲームだ。主人公は銃だけをつかって戦う。近接攻撃が苦手な僕にとってこれはうれしいゲームだった。
「あ!思い出した。デグレゲロゴだ!」
女の子にあるまじきID。デグレゲロゴだと。吐き気をもよおすような......待てよ。デグレゲロゴ?もしや...。
「...音速の射撃手(ソニック・ガンスリンガー)。」
僕の一言に霧島さんは大きくのけぞった。そして青ざめた顔でこちらをみている。
やっぱりそうだ。間違いない。よく一緒にレインボーバレットをプレイしていた人だ。
IDはデグレゲロゴだが、プレイヤー名は音速の射撃手(ソニック・ガンスリンガー)。とても人前では言えないような恥ずかしい名前である。
「カワノハラくん...ですか...?」
敬語にならなくてもいいんですよ。音速の射撃手(ソニック・ガンスリンガー)さん。カワノハラは僕のプレイヤー名だ。
こういう時にプレイヤー名はかっこいい(恥ずかしい)名前は避けた方がいいよね。
「はぁ...。いつかバレるとは思ったけど...。」
「まあ、僕の字を見せたって言えば先生に見せる宿題と僕の字を霧島さんにアップロードしたぐらいだからね。」   
「...絶対にいわないでよね。」
「誰にも言わないよ。話のネタにするほど友達いないし。それにせっかく会えたんだから。」
僕がそういうと霧島さんはレインボーバレットをやめて、そそくさと僕の部屋へと帰って行った。一瞬こっちを見てなにかを言った気がしたが、なにを言っているかわからなかった。


翌日の朝、学校へと登校していると霧島さんがうしろからやってきた。
「コーホー...。」
「ん?なにこれ?」
紙切れだ。なんだろう。
『昨日のことしゃべらないかずっとみてるから。もししゃべったら...』
...しゃべったら?ああ、なるほどその右手にもっていらっしゃるカッターナイフで切り刻むんですねおねがいですからそれおろしてください。
「コーホー...。」
ふぅ...。おろしてくれた。黒歴史を封印するなら人はどんな手段でもいとわない。だからやりそうで怖い。本当に口を滑らせないようにしないと。
「コー...ホー...。」
「どうしたの?...って手怪我してるじゃないか。」
おそらくカッターナイフで切ったのだろう。止血しないと。
「ぐふっ...ぐふふふふふふ......♪おいしいにおいはこっちかなぁあ...?」
Oh...sit... まだあいつ直ってなかったのか...。
「霧島さんごめんね。また走るけどいい?」
「コーホー...。」
頭を下げているところからうんざりした表情が想像できる。まあクラスメイトがこんなだから当然だろう。
「ひはあああああああああああああ!!!お喉かわいたのおおおおおおおおおお!!もっとお...もっとほしいいいいいィィィィィィ!!!」
こうして僕の1日は始まる。霧島さんの監視の目もあるし、これから一体僕の生活はどうなってしまうのだろうか。


とりあえず里美をなんとかしてから考えることにしよう。


                                  < END >