小説 『color』

てのひらの小説 『color』をお送りします。 僕と彼のちょっと風変わりな道中記です。 どうぞ。

 

 

「そうだ、知床行こう」
古くからの親友がおもむろに言い放ったそれは、あまりにも唐突で。
「・・・は?」
たっぷり10秒はかけて、やっとのことでひねり出した言葉は、どうにも間の抜けたものだった。

『 color 』  旗本

「・・・いやいやいや、いきなりどうしたんだよ。知床ってなんだよ。何しに行くんだよ。」
彼は・・・僕の中学からの学友であるこの友人は、時々こんな素っ頓狂なことを言い出す。
普段は、生真面目を絵に描いたような、そんな、お堅い人物な筈なのだ。勉強だってできる。できる・・・はずなのだが。
それが、ふと何かを起点に、こんなふうによく分からないことをのたまう。
「何って・・・魚を見に行くんだよ、魚。」
・・・?彼との交流を始めてからかれこれ5年。よりいっそう、僕はこの男の事が分からくなっている。こいつは何を言っている?魚が見たい?魚?知床といえば確かに固有の魚もいるが、知床は世界遺産に登録されていることもあり、実際にその固有種と対面することは、まぁ非常に難しいことだろう。何より、自分たちは学生である。そしてそんな自分たちが現在いる場所は、大阪。金も時間も、何もかもが足りない。
「・・・どの魚が見たいんだ?ホッケか?カラフトマスか?それともソイ?」
「・・・いや、メガマウスだ。メガマウスが見たい」
「鳥羽水族館にでも行ってろ馬鹿」
今日も友人は絶好調の様だった。

「さて、そんなワケでやって来ました鳥羽水族館」
「そういうワケで連れてこられました鳥羽水族館・・・」
時は流れて1週間。学校も3連休に入り、いろいろと余裕のできた僕達は、何を思ったか、本当に鳥羽まで来てしまった。正直、後悔している。
「鳥羽水族館は太陽系最大級の超水族館をキャッチコピーとしている、世界屈指の規模を誇る水族館だからな。メガマウスもいるよ。剥製だけど」
「棒読み且つ説明的なセリフをどうもありがとう。お前のこのプチ旅行に対するモチベーションの低さがありありと感じ取れるよ」
「そうかそうか、分かってるならいいんだ。・・・本音を言うと今すぐ宿で寝たい気分」
連休ということで宿題も多めに出ている。本当はこんなことにうつつを抜かしている場合ではないのだ。
「もうここまで来た時点でとっくに手遅れさ。諦めて存分に楽しめ」
そういって友人はずんずかと水族館の中へと歩を進める。どうも彼はこの日が楽しみで仕方が無かったようだ。踏み出す足がどこか軽快である。
「まぁ・・・せっかくだしな」
そして、何だかんだ言って、認めたくはないが、了承した時点で、自分もどこかこの旅行が嫌だった訳ではないのだろう。否定的になってしまうのは、きっと友人の強引で唐突な強行軍への、ささやかな抵抗なのである。
あまり文句を言って友人の機嫌を損ねるのも何だと思い、彼の言葉通り、今は目先の娯楽を精いっぱい楽しむことにしようと、僕も水族館へ足を踏み入れるのであった。

「いやはや、やはり間近で見ると迫力が違うな。あれがメガマウスだったか」
「剥製だけどな」
「まぁ泳いでいる姿も見てみたいとは思うがな。当分は無理な話だろう。」
「違いない」
展示室で(一応)目的であったメガマウスの剥製まで見回り、現在、森のエリアで動かないカメをじっと見つめている。
海というものはとてもいいものだと思う。特に深海などは、奇妙な生き物の宝庫だ。
昔からそういうものが割と好きだった僕は、最初のやる気のなさはどこへやら。今や隣で未だにメガマウスへの感慨にふけっている友人よりもこの状況を楽しんでいる自分がいた。
「宇宙に衛星だのロケットだのを飛ばすよりも、僕には深海に探査機を送った方がよっぽど有意義に感じられるよ。」
「そうかもしれないな。火星に行ったって、そこにはタコがいるだけだ」
「ははは、その手の人間がこの会話を聞いたら、真っ赤になって怒りそうだな」
「全くだ」
とは言うものの、僕の価値観という限りなく閉鎖的な深層世界の中では、これこそが事実なのである。僕には宇宙の良さは解りそうにないし、解ろうとも思わない。
僕らが生きている間に見える範囲の宇宙に生命があるかなど分かりはしないが、深海には確実にそれは存在する。今現在判明している種だけでも、全体の半分には到底達していないそうだ。それなら、僕はまだ見ぬ深海生物に思いを馳せていたい。
本当にいるかどうか分からない地球外生命体を追いかけるに人間は、僕からすればUMAハンターと大差ない存在だ。
「・・・お前はきっと今、すごく失礼な事を考えているな。違うか?」
「顔に出てたか?」
「いや、直感」
「・・・そうですか。」
この友人の前では、あまり妙なことを考えない方がよさそうだ。

水族館もあらかた見終わり、メインストリートを歩いていた時のことだった。
「だいたいこれでお終いか。時間も丁度昼飯時だ。どうする?」
「まぁ、これからの事はここを出てから決めよう」
「水族館の飯は食わないのか」
「ここは鳥羽だぞ?うまい飯屋ならたくさんあるよ。」
実際、水族館に来るまでにいくつか気になる店を発見した。水族館のレストランでたべるよか、そちらで食べたほうがいくらか建設的な気がする。
「さっき来た道においしそうな店もあったし、そっちの方に行かないか?」
「・・・」
何故か黙って一方向を見つめている友人。僕の声は全くと言っていい程耳に入っていない様だ。
「おいおい、さっきの今でもう無視か?ひどいじゃないか」
「・・・あれ」
そう言って、視線の先に指をさす友人。
友人が指し示した方を目で追ってみると、そこには。

――――何だこれは。どうすればよいのだ。
昔友人に借りたTVゲームに出てくる台詞だ。今の僕の心境を、これ以上に的確に表してくれる言葉はきっと存在しない。
「ぐすっ・・・!えぐっ・・・」
目の前には目蓋いっぱいに涙をたたえた少女。年はいくつだろう。おそらく十には達していない。どうやら迷子か何かのようだ。少女が一人きりで泣いている理由などそれくらいしか思いつかない。
僕は今、友人とは別行動をとっている。と、いうよりも、奴は先ほどこの少女の方を指さし、「あれ、なんとかしたほうがいいな」と言い、「がんばれ」と残してどこかへ行ってしまった。迷子センターだろうか。何故この少女を連れていかないのか甚だ疑問ではあるが、残されたものは仕方が無いので何とか意思疎通を図ってみる。
しかし。しかしだ。今現在、友人の前でこそ明るくふるまえてはいるが、僕は生来、どちらかというと根暗な方の人間なのだ。ましてや、初対面の、小さな少女への対応など、そううまくいくはずもない。
「...ど、どうしたの?迷子?」
精いっぱいの力を振り絞ってひねり出した笑みは、あまりにも歪で。
「ひっ!」
・・・やはり怖がらせてしまったようだ。...いけない、これでは児童誘拐の変質者と言われても文句は言えない。手詰まり。どうにもうまくいかない。このままではきっと良いことにはならないだろう。主に通報的な意味で。
「あぁもう、どうしたらいいんだよ...!」
打開策も見つからず、硬直したまま一人ごちていた時(とはいっても数分の間だが)のことだった。
「お困りの様だな」
ようやく友人が帰ってきた。きっと彼なら子供をあやすことなど造作もないことだろうし、きっとそれなりの方策もとってきたのだろう。ようやく楽になれる。そう心から安堵した僕は、
「遅いじゃないか。一体何をしていたんだ?」
と、今まで一人にされた辛さもあり、少々恨めしげに彼が何をしていたのかを聞かずにはいられなかった。
「え?あぁ。お前がこんな状況で一人になったらどうなるだろうと思ってな。ずっと後ろから見てたよ。いやぁ、やっぱり面白いなぁお前は!」
「死ね」
この男の顔面を捉えた僕の拳は、間違いなく光速を突破していたと思う。

「伊勢海老って言ってもアレだな。フライにすると普通のエビとあんまし変わらん」
「なんでフライだと安いんだろうな。刺身はあんなに高いのに。」
あれからは特筆すべきこともなく、子供を迷子センターに預け、そのまま水族館を出、駅の近くにある料亭でうまい飯にもありつき。
「まぁ、うまいのに変わりはなかった。大変満足に御座います」
「へぇへぇ、そうですか」
「そんなことを言って、お前だって楽しそうにしていたじゃないか。無理にテンションを下げようとしても無駄だぞ。俺には分かる」
満足気な友人の感想に生返事をしていると、またそんな事を言われた。
「お前はサトリか。」
「お前がサトラレなんだよ」
成る程、僕は自分が思っている以上に分かりやすい人間らしい。
「いや、アレで分からん方がおかしい」
「さいで。しかしこの後だが...どうする?」
今僕達は、料亭の入り口の屋根の下で動けないで立ちつくしていた。
「うぅん、どう...と言われてもな...」
やはり困ったように唸る友人。それも仕方のないことだった。
「雨、だなぁ...」
「雨だねぇ...」
天気予報なんざクソ食らえ。

「...どうする?」
「いや、どうすると言われても」
こればっかりはお天とさまの気まぐれだ。
たとえ気象庁が降水確率0%なんてのたまっていたって、それは単なる予報なのだから...
「うぅむ...まぁ、すこしくらいはこうしててもいいだろう。時間には余裕がある」
「...そうだな」
こればっかりはどうにもならない。時間の浪費を悔やみつつも、ここでしばらく雨宿りをすることにした。

「止まない」
「止まないな」
そう決めたのが15分前。そろそろ立ちっぱなしにも飽きてきた。
「もう濡れてもいいか?」
「このまま待つよりかはな。」
雨なんていつ止むのか分からないのだ。待っていて電車に遅れでもしたら笑えないことになる。
「全く、しょうがないな。これだから雨は嫌いなんだ。空気を読まない。」
昔から雨にいい思い出はなかった。嫌な事があった日はいつも雨だ。嫌な時に降って、その記憶を余計に湿っぽくしていく。雨のせいで悔しい思いをしたこともあった。とにかく、暗い思い出に雨はつきものなのだ。
「そうか。まぁお前の気持ちも分かる。俺は雨が好きだがな」
「そうなのか。はじめて知ったぞ」
「そりゃあお前、言ってなかったからな」
意外なところで食い違う意見もあるものだ。まぁ、自分の雨への印象などはただ今までの経験に対する感情のはけ口になっているだけのこととは自覚しているので、食い違って当然なのかもしれない。
「お前は、どうして雨が好きなんだ?」
「そうさな、嫌な事があった時に降って、嫌な事を感情と一緒に洗い流してくれるからかね」
これを聞いた僕は、笑うしかなかった。彼は、自分と同じような境遇にたって、自分とは真逆のことを感じていたのだ。
「へぇ、妙な事もあるもんだなぁ」
「全くだ」
友人が今の僕の言葉を理解できたのかは分からないが、何だかんだで彼は僕のことを識っている。僕が雨を嫌うようになった理由だって分かっている。あえて口にしないのは、友人なりの気遣いなのだろうか。
「結局、今見えてる世界なんて、見方一つで簡単に色を変えてしまうものなのかもしれないな。」
「その変わった世界を軽く受け入れられるだけの大らかさがあればな」
「そんなものはお前、その年で言う事じゃあないだろう」
「そうかもしれない。」
「雨時は感傷に浸るにはもってこいの時間だぞ。この機会に浸れるだけ浸っておけばいい」
「そうか。」
僕はそういうのは好きじゃない。けど、たまにはいいかもしれない。こうやってセンチメンタルを感じたり、無駄な事を大げさに考えたりすることも、子供のうちにしか出来ないことだろうから。
「お前もそうやって悩んだりするのか?」
「当たり前だ。俺だって人の子だよ。心の中は大荒れさ。ロンリィだよロンリィ」
どうもこいつはそこまで悩んだりすることは無いらしかった。少なくとも寂寥感や孤独とは無縁だったのだろう。思えば彼の周りには常に人がいる。まぁ、大半は僕だが、そうでないときも、何かしらあって人と居ることが多いのだ。それが偶然なのか必然なのか僕には見当もつかないが。
「お...」
「あぁ...止んだぞ、雨」
話していたらいつの間にか雨が止んでいた。
今は日が照って虹までかかっている。
「どうやっても変わらない世界だってあるよな」
「ん?...あぁ、成る程。そうだな」
「うん。雨上がりはどう見ても雨上がりさ」
「違いない」
僕らは声を上げすぎない程度に笑った。
「それにしても」
「ん?」
「電車電車。時間。」
「あっ」
オチがつくのも、変わらないのだろうか。
どんとはれ。

                                                  〈 了 〉