8月22日 活動4日目の様子
南三陸町防災対策庁舎跡の見学を行いました。
3階建ての建物で、志津川町の行政施設の一つであり、2階に危機管理課が、屋上に避難場所がありました(高さ約12メートル)。震災時、想定を上回る15.5メートルもの津波により、建物は骨組みだけを残して流出しました。働いていた職員の多くがここで亡くなりました。最後まで防災無線で住民の方々に向けて避難の呼びかけを行い、それはのちに「命がけのアナウンス」と呼ばれました。
現在、防災庁舎のあった周辺は約10mのかさ上げ工事が行われており、防災庁舎は「震災遺構」として残されています。
防災庁舎跡の見学のあと、写真展示館「南三陸の記憶」にて、当時の様子を学習しました。大震災発生前と発生後の様子や、防災庁舎が津波に襲われる様子を時系列で並べた写真を見ると、8年経った今でも、その恐ろしさ、威力の強さを感じました。
震災から8年が経ち、昨年度と比べても宮城県は復興へ着実に進んでいます。しかし、景色が変わっても生活が戻っても、忘れてはいけない傷跡があることを今回のボランティアで感じました。
東日本大震災の経験から、私たちが学ぶことはたくさんあります。
自分の命は自分で守る、そのための知識の習得や災害時への備えなど、いまから準備できることはたくさんあります。
また、今回のボランティアを通して、災害が起こったときには多くの人々のサポートが必要であり、様々な形や方法で支援に参加することができるとわかりました。自分のできることからボランティアを始める気持ちが大切だと学びました。