海岸から約700mの所に位置する荒浜小学校。荒浜地区には800世帯2200人の人々が暮らす集落だった様です。地震の後、約1時間後に襲ってきた津波で、地区の住宅のほとんどは流され、4階建ての校舎の屋上に、児童と教職員、そして地域の方々が避難して命が助かった場所として、震災遺構歳として残されていました。当時の映像を見て、住んでいた地域が全て黒い津波に飲み込まれ、校舎の1階2階を津波とガレキが流れていく、想像を越えた状況でした。映像の中で、当時のことを語る校長先生が、津波を経験してから、避難の方法が変わったということと、地域との関係も含めて、今できることをやっておくことが大切だと語られていたのが印象的でした。今日説明してくださった方も、この地区に住まわれていた方で、海沿いにあったご自宅は跡形も無く流されたとのこと。お母さんを迎えに行ってからの避難だったので、避難場所について10分ほどで津波が来たと話されていました。5年間は仮設住宅に住まわれていたそうです。震災から10年が過ぎ、皆さん頑張っておられますが、地域の傷、心の傷は深いのだろうなぁとあらためて思いました。





