8月17日(日)~20日(水)の4日間、豊中市社会福祉協議会主催の「高校生ボランテァバス」に、一緒に参加してきました。
この「ボランティアバス」は豊中市内の高校生を対象に呼びかけられたものです。本校からは3年生2名が参加しましたが、本校以外にも桜塚高校(全)(定)、刀根山高校、大商学園高校から男子17名、女子12名の高校生が参加し、一緒に活動してまいりました。豊中市のfacebookにも報告が載っています。また、今回J-COMも取材として同行しましたので、9月11日から20日までケーブルテレビでも放送されるということです。
これまでにも、一度は東北の復興ボランティアに参加してみたいと思っていましたが、なかなか最初の一歩を踏み出すことができずにいました。今回、こうして3年生の2人の生徒が参加してくれたおかげで、私も一緒に連れて行ってもらうチャンスを与えてもらいました。2人の生徒にはとても感謝しています。
「百聞は一見にしかず」とよく言いますが、まさにその通りで、震災から3年の月日が流れましたが、津波の傷跡は想像できない高さの大地にまで残されており、その傷跡は今も多くの住民の方を苦しめるものになっているということを感じました。
復興の傍ら、震災の記憶が風化しないように遺構を残す作業も議論されているのですが、多くの人命が失われた中で、意見を集約していくのには大変な苦労があるということでした。写真は旧大槌町役場。ここでも多くの人命が犠牲となっており、保存については意見が分かれているということです。
消防士さんの指導の下、土嚢づくりのボランティアをしました。消防士の方は、震災の2日後には一番に大阪市から消防士の方々が駆けつけてくれたことをとても感謝しているとおっしゃっていました。
グループに分かれ、仮設住宅の住民の方々のお部屋に入れていただき、直接住民の方のお話を聞かせていただく機会もあり、当時の生々しい体験を生徒たちは深く受け止めていました。震災の記憶をこうして掘り起こしてしまうことが、住民の方を傷つけてしまわないのかとも思っていましたが、住民の方々は「震災のことを忘れないでほしい。」「こうして、まだ仮設暮らしをしている私たちのことを忘れないでほしい。」という気持ちがとても強いということでした。
私が話を聞かせていただいた方も、「ぜひ、大阪に帰って私たちのことを伝えてほしい。」とおっしゃっていました。
写真は、仮設の方への感謝の気持ちとして、バスの中で練習してきた「負けないで」をみんなで歌っているところです。
震災直後のボランティア活動と、こうして3年たった今の時点でのボランティア活動はその内容も変化しているように思います。
がれきを取り除く作業はひと段落してるように見えましたが、復興を待ち望む住民の方々の気持ちを、支えて行くことが求められているのではないかと感じます。大槌町、釜石市、陸前高田市と3つの地域を訪問しましたが、「ここにたくさんの商店が並んでいたんですよ。」といわれますが、想像もできないほどの草原が広がっており、映像で見るのと、自分の足でその場に立って見るのとでは胸に迫るものが全く違いました。
特に、陸前高田市の見渡す限りの大地に何も残っていない風景には言葉を失うばかりでした。市長さんは、講演の中で、「絶望という想いをはじめて知った。」とおっしゃいました。陸前高田市では、広大な市街地の土地をかさ上げして津波から守るための作業が行われていました。
写真にあるベルトコンベアーは昨年訪れた時にはなかったものだそうです。高齢者が多く、一日でも早く街を復興させたいとの想いで、9年を要する作業を2年半で終わらせることを目標に山を切り開き土を運び出していました。1時間当たり8000tの土が運びだされているということです。大型ダンプカー1台で運ぶことのできる土が50tということですので、160台分になります。
現地の大槌高校の生徒の皆さんとの交流会では、当時の状況や高校生たちが避難活動として何を行ったのかを語ってもらった後、小グループで交流をさせていただきましたが、グループでは震災のことだけでなく、方言の話や、手遊び、学校の様子の違いなどいろいろなテーマで高校生らしく楽しく交流をしていました。
バスの道中が大変長かった(行きは車中泊で17時間、帰りは15時間)ので、バスの中では何回か感想を述べ合いましたが、どの生徒さんもそれぞれに自分の胸に深く刻まれた思いを話してくれました。話の内容は東北の人々に対するものだけでなく、そこから得た「自分たちのこれからの生き方」にもつながり、一人一人の言葉に参加者全員が同じ思いを感じながら終了しました。