オーストラリアでの日本語教師の任期を終え、日本へ帰国してから10年が経とうとしていた2010年。同様の経験を持ちながらそのキャリアが生かせない、日本語教育や英語教育で息詰まる。そんな声を聴く中で、自分たちの経験が何かの役に立つようにと日本全国の帰国教員で横のつながりを作り、活動の一環としてブログを立ち上げた。6000Kmの旅を含む13本の拙文を献上した。
以下ブログから抜粋します。(2010.12.25の記事)
トッドモールで(アリススプリングスの目抜き通り、大阪で言えば心斎橋あたり、しかし行きかう人と体が触れ合うようなことはない。)世界の大都市までの距離と方向が書いてある看板を発見した。北の方向を指す看板に書かれてあった東京まで6500Kmの文字。東京大阪間の500Kmを引いて6000Km (方角を考えると本当はおかしい。書きながら今、気づいた。) 6000Kmを走破しよう!走ったり、歩いたり、自転車に乗ったり自分の力で移動した距離を記録して6000Kmに挑もう。
そこから6000Kmへの挑戦が始まった。市内数ヶ所の小学校、中学校へはすべて自転車で移動し、平日は一日平均20Km弱。休日はララピンタ通りを走ってシンプソンズギャップの入り口までの往復コースで40Km。走れる日はジョン・フリンのお墓まで20Kmのランニング。(よく考えたらハーフマラソンの距離)一日の最高距離は100Km。ララピンタ通りをひたすら走ってスタンドレーキャズムの入り口を少し越えたところの往復コース。
マクドネル山脈を眺めながらひたすらまっすぐ走る。時折100Kmのスピードで走る車が「How are you doing?」と声をかけてくれる以外には誰とも話さずただひたすら自然の風景を感じ、楽しみ、対話しながら走る。大自然が「人間の力でどんなことが出来る?」と問いかけてくる6時間でした。
2001年2月に6000Kmを走破し、誰にもほめられたり、喜びを共有したりは出来なかったけれど今の自分をどこかで私の背骨を支えてくれているOUTBACK体験でした。
50Km夜通し歩くこと。歩いているとき、歩き終えた直後、それが何を意味するのか、どんな意義があるのか。答えがすぐに得られるものなのか。人生のいつかどこかで自分の心に響いてくるものなのか。
心に下支えされた音に耳を傾け、その音をいつかどこかで味わえることは間違いありません。100㎞、6000㎞を走破して得られたものは、20年を経た今も、ずっと、そっと私自身を下支えしてくれています。
お天気の神様に祝福され、満天の星の下、無事に完歩し、晴れやかな明日の朝を迎えられますように! 妙見委員の皆さん、先生方、PTAの係りの方々ありがとうございます。よろしくお願いいたします。