1999年秋から2001年春まで日本語教師としてオーストラリア・アリススプリングス滞在中、日本への海外ツアーの企画やシドニーオリンピック聖火リレーのパレードでの日本文化の紹介などいろいろな体験をする中、日本と比べて圧倒的な余暇の時間を得た私は滞在中に日本までの距離に相当する6000Kmを自転車や走ることによって走破したり、サッカーのチームでプレーしたりするなど充実した時間を過ごしていた。当時30代半ばの私は大体チーム最年長で、平日でも早くからグランド(夏は人工芝のスタジアム、冬は天然芝ー土地は広大でふんだんにある)入りし、入念にアップ。しかし、試合開始後3分もたたないうちにふくらはぎ裏の筋肉が音を立てて交代を告げることがあった。(若い子たちは首をかしげていた。)作戦会議ではグランドでパスをするようにという指示に対してにこにこうなずき、笑顔で応えながら、浮かしたパスをするなど、ゲームが始まったらとんでもないプレーをする日本から来たMiddle-aged person(私に会う小学生は、ほぼ全員右手を腰のところに持っていき「よしっ」ポーズをする不思議な存在)をチームは暖かく受け入れてくれた。
試合が終わった後、チームリーダは結果はPaper(パイパーと聞こえる)に載っているから楽しみにと毎回告げた。笑顔で頷き、翌日クラブハウスの壁など思い当たる掲示板らしきところを隈なく探したが、どこにも見当たらない。
本当に英語教師なのと思われてしまうことを覚悟して申し上げるが、PaperはNewspaperだったのだ。小さな町のアリススプリングスはこんな町のサッカーリーグの結果も新聞でその結果を共有するのだ。しかも、新聞は宅配されないのでNews Agencyに買いに行く。町全体で寄り添い、町全体を活気づけていく空気は心地よかった。
一方、本当の掲示板に示されるお知らせ。26年前、自分自身は職員室に貼られた一枚のPaper ―海外で日本語を教えてみませんかー というお知らせで人生が完全に変わった。
掲示板上の紙、a piece of paperをただの物質名詞にするのか、the (your/ your own) paperにするのかはあなた次第です。より良きご縁に恵まれて、良い人生が送れるyour own passportになりますように!