宇宙に浮かぶ 星

Sorry! I am ashamed of not speaking English fluently. 1999年9月。オーストラリアに赴任したての新米exchange teacherだった私は、同僚や生徒に対してもこの言葉を連発していた。「恥ずかしい」という訳語から適する言葉だと判断して使っていた。しっくりこない。そんなにまで言わないでもの空気が漂う。英語運用能力とは程遠い、辞書、下手をしたら自分が受験の時に使っていた単語帳から引っ張ってきた日本語⇔英語で対応するものをそれこそサバイバルイングリッシュとして使っていた。shyやshamefulではないだろう。しかし...。オックスフォード新英英辞典によるとembarrassed or guilty because of something one has done or characteristics one has と説明がなされている。使う地域、世代、時代、様々な状況で受け止め方は違うだろうけれど、その当時のアリススプリングスのみなさんは英語が話せないから罪深いとは思わない。「何より、あなたの言っていることが理解できるから訂正ができるのよ。」と言葉をかけてくれた。このあと一年半。ずっとこのやりとりをして、最後はユーモアの一つとなった。言葉はコミュニケーションの中で使われる。言葉そのものだけが伝わること、想いだけが届くこと。一年半の滞在で交わした言葉が数々あり、通わせた想いは数えきれないけれど不思議なことにどんな単語だったか思い出せない場面がたくさんある。懸命に覚えた単語、懸命に探した言葉。でも、通じ合った想いの方が心に残っているのは不思議だ。語学教師として言葉を教えることに誇りを持ち、スピーチするときには届ける言葉にこだわりぬいているにもかかわらず想いの方が勝っている。「想い」の広さ、深さが宇宙なら、「言葉」はそこで光るなのかもしれない。

この一年間、まばゆい輝きを放つ星がお互いを照らす機会が数多く訪れますように!

I was embarrassed ashamed to find myself sleeping on the train with my name card around my neck and my mouth open.

前回お示しした英語はashamedをembarrassedに代えたほうが良いという判断をしています。「気まずい」という感じでしょうか。(高校生の言葉なら「はずっ!」と言うところですか)   ―令和というこの時代ならもしかしたらashamedなのかもしれません...。―