小学校5年生の時のお楽しみ会でまさしくクラスのマドンナが歌ってくれたのが、学園天国。沖縄出身のグループが歌っていたこともあって、歌詞を丸覚えしていた。多目的ホールでIBA-TENの楽曲演奏中、一緒に熱唱してしまった。BC間から聞こえてきた曲。他校で新任校長として視聴覚教室で聞いた曲。歌手名も曲名も知らなかったこの曲、FUSION部の分厚い演奏で秋の青空の下で聞けたこと、何かの魔法の力なのかもしれません。
おジャ魔女どれみちゃん、まさか茨高で聞けるとは思わなかった。娘が小さかったころ、土日しか(実はそれも怪しいのだが)朝ご飯をつくる機会がなかったので目玉焼きをつつきながらよく見た番組だ。貴重な時間を得ていたことを思い出せてくれた。
ダンスのパフォーマンスを見ながら、showという動詞が第3文型に代えたときにtoの前置詞を従える意味がよく分かった。パフォーマーとして踊っている自分がどう映るか、そしてその移動した体形がどのように美しいかがわかって踊っている。つまり間違いなく観衆に届くことを前提に踊っている。衣装も、踊りも、動きも、照明も、背景もそして静止している瞬間すらも。すべてを届けることをめざして踊っている。
専門的、本質的なそれぞれのパフォーマンスを評するには門外漢過ぎるのでコメントは避けます。どの会場(多目的ホール、体育館、BC間)でも聴衆が演者とともに楽しんでいた。演者は聴衆に喜びを与え、聴衆は演者を讃え、包んだ。そして演者はそれぞれの持ち時間が他者の時間を奪い取らないようにきっちりとマネジメントを徹底した。何よりも大切な他者への敬意だ。
クラスの企画へはほとんど訪れることができなかった。残念。少しだけ拝見できた、壁に貼られたたくさんのコメント、人間愛があふれる暖かいものを見て、気づける人がいることへの安心感とそれを表現しようとしたその勇気に力をもらえました。
コーヒーカップが回る(を回す)。この一コマがどれだけの人のこれからの人生を下支えするのかと思うと簡単にはシャッターが切れませんでした。心身ともにぎりぎりのところまで向き合ったみなさん。お疲れさまでした。
後片付けが滞りなく進みフィナーレまでたどり着けますように。