8月18日(日)マレーシアの国と人は好きです。
今回は巡り合わせでマレーシア航空を使ってクアラルンプールをトランジットし、ニュージーランドのオークランドに語学研修に行きました。往路、復路ともマレーシア航空便の大幅な遅延の結果、予定に無かったクアラルンプールで往路に1泊、復路に1泊をすることになりました。往路は余りに慌ただし過ぎて何も見ていませんが、200年前から100年以上英国領にあったことで、交通ルールがイギリスや日本と同じく車は左側通行だったことは記憶に残りました。復路は24時間あったので、ホテル周辺のクアラルンプール郊外を散歩し、バスからクアラルンプールの都市開発の様子を見ることが出来ました。
ホテル近くの学生街にあった『茶仙子=BEUTEA』という店で飲んだ「白桃烏龍茶=White Peach Bliss Oolong Tea」は、驚きの美味しさでした。添乗員さんが頼んだ「花果山=Fresh Tropical Fruit Tea」は日本ではお目にかかることのないものでしょうが、見た目も美しくて大変美味しいと聞きました。傍には「はなび」という名古屋のラーメン屋が日本語で呼び込みをしていたりして、驚きました。ホテルの近くにあった「セブン‐イレブン」には、日本と間違えるほどに日本語表記のままの歯磨きやカップ麺、ペットボトル飲料などの日用品がたくさん販売されていました。販売価格は、一般物価を反映して日本よりも安いものが多くありました。
8月は日本ではいつも戦争を振り返って反省を繰り返しますが(それは必要なのでしょう)、一時期は日本に占領されていたこのクアラルンプールでは、戦争の後を感じさせるものよりも、どこかの資本の投資による高層ビルが建設途中でお金が無くなったのか半ばで放棄され、むき出しの鉄筋が錆びて廃墟のようになったものがあちこちにありました。クアラルンプール中心街にあるという建築時には世界一高かった88階建ての超高層のツインタワー「ペトロナスツインタワーズ」は、空の上から見ることになりましたが、韓国の会社が担当した片方のタワーが少し傾いているというWeb情報も見かけました。
私も一度大阪の21世紀協会主催の会合でお目にかかったことのある前首相のマハティールさんが、「Look East 政策」として、アジアで最も早く近代化に成功した日本を手本にするという政策を進め、日本語を学んだり、日本に留学する人も多くいたマレーシアですが、その後の日本経済の低迷とともに、韓国や中国からの投資や影響を多く受けるようになっているようです。
人口の6割がマレー系、3割が中国系、1割がインド系という多民族国家で日本と全く民族が違いながら大変親日的と言われており、Wikipediaには「日本が事あるごとに太平洋戦争の謝罪外交をすることについて『いったい、いつまで謝罪外交を続けるのか。自信を取り戻し、アジアのため世界のためにリーダーシップを発揮してほしい』と日本を励ましていたマハティール首相は、1994年8月にマレーシアを訪問した村山富市首相が過去の戦争について謝罪した際にも、『日本が50年前に起きたことを謝り続けるのは理解できない。過去は教訓にすべきだが、国家間の関係は現在から未来に向けたものにすべきだ』(I can't understand why Japan continues to apologize for what took place 50 years ago. Japan should put its past behind it and strive to play an active role in the peace and stability of Asia. )と村山首相の姿勢に疑問を呈した。そして、1992年の香港国際会議上でも、『もし日本なかりせば、......マレーシアのような国は、ゴムを育て、スズを掘り、それを富める工業国(イギリス・オランダなど)の言い値で売り続けていたであろう』と表明するほど日本に対して友好的である。」と書かれています。
他人の意見や判断はそれとして、私はマレーシアの国と人は好きです。大事にしたい国です。前にいた大阪府立高校では、毎年のようにマレーシアの中学生や高校生が1日~1週間来訪し相互交流することも行っていました。恥ずかしがり屋で控えめな生徒が多かったと記憶しています。一方で、マレー語、英語、中国語の3か国語は普通に使えて(トリリンガル)、更に日本語を学ぼうとする言語能力の高い生徒たちでした。国外に出ずに日本語だけで暮らす人が多い日本人にとって、これからの時代に見倣うところも多いのではないかと感じています。時間厳守と数の観念や、着実性、清潔感などについては、日本人の優れた部分なので、教え合うことが大事なのではないでしょうか。