あと一か月、あと一日

 宿泊野外行事出発まであと一か月となりました。一昨日、依頼された76期生宿泊野外行事のしおりのあいさつを提出いたしました。本校の中でのこの行事の重み、大切さ、そして生徒の皆さんに一生の宝物へなるようにという思いを込めて種々書き綴りました。しおりが皆さんのもとへ届き、ご覧いただける日を心待ちにしております。コロナウイルス感染症の影響がなければ、本来宿泊野外行事は、海外での実施であったと聞いております。行事委員をはじめとする生徒の皆さんの様々な議論が積み重ねられ目的地が沖縄へと決定されたと聞いています。

 明日、5月15日、沖縄が本土へ復帰してから50年を迎えます。私は8歳でこの日を迎えました(6月末で9歳になる年)。  高江洲という聞きなれない姓から推測いただけるかもしれませんが、沖縄は私にとって父の出身地、そして祖母の命が戦争で奪われた場所でもあります。父は本土へ疎開するための船、対馬丸に乗船予定でしたが、手続きの関係で叶わず、別の船で九州をめざしました。祖母は14歳になる息子を港で無事を祈り、見送ったとのことでした。対馬丸はアメリカ軍の攻撃により本土へたどり着けなかったことは皆さんご存じかもしれません。

 父は最終的に別の船で長崎へ到着し、陸路大阪へたどり着いたという話を聞いています。祖母は父を港で見送った後、1945年戦闘機の機雷砲で撃たれ亡くなりました。

 高校2年の夏、父親が多くを語らなかった船での旅を選び、沖縄の地を初めて訪れました。途中台風に見舞われ、体が船中で浮き、天井が近づいてくる恐怖を感じる中で太平洋の外洋を船で渡ることの困難さを肌で感じる貴重な経験となりました。いとこの案内により、ひめゆりの塔、健児の塔、摩文仁が丘、ガラビ豪などを訪れ、語り部の方から戦争当時の状況やガマでの生活などの話をお聞きし、その当時(1980年)、日本の享受している幸せの裏にある多くの命に思いを馳せました。

 大学時代に一度同様の旅をし、1998年の3月に教員として、修学旅行での生徒引率、昨年20年以上を経て修学旅行引率で沖縄に参りました。コロナ感染症の影響で久しぶりに訪れた旅行者として沖縄のどこに行っても大歓迎され、感謝されたこと、心に深く刻み込まれています。人が移動し、対面し、言葉を交わすことによって深く、強く心が通じ合うことを改めて感じる機会となりました。

 父、祖母が暮らしていた沖縄、戦後35年、復帰後8年、高校生の時に見た沖縄、生徒を引率して私にとって20世紀の最後に見た沖縄。そして昨年訪れた沖縄。訪れた時々の国内の様子も取り巻く世界の状況もそれぞれ違う中で、時代を経ても変わらないもの、時代とともに変わったものをしっかりと受け止めながら、私の中の沖縄と私の生き方を見つめなおす機会としてきました。沖縄の歩んできた歴史、そして今の国際状況に思いを馳せながら76期生の皆さんといっしょに沖縄を訪れようと思います。

             たくさんの素敵な出会いがありますように!