螺旋階段

 流暢に運ぶ英語。How do I put it? 教壇で先生が黙っている間でも心の中でそう呟いていることが想像できる授業。英語で英語を教えるということが求められてもう4半世紀がたつが、日本語使用、文法事項の教示方法等ずっと胸をかきむしりながら向き合ってきただけに、この一週間で拝見した3つの授業はその答えを見つけ出せそうなものが満載で、そして自らの英語教師としての復活が難しいことを実感した機会でもありました。

 圧倒的に英語を聞く量が多い中、日本語での励まし、活動の目的、文法のワンショットの説明。このコントラストが劇的であればあるほどその効果は大きい。この2行でこう書くことはいとも簡単だが、この順序で、このバランスで提示していくというところに行き着くまでに要した時間、労力,重ねた試行錯誤に敬意を表したいと思います。授業を見学し、見学され、時には海外に身を置いて学び、自分自身と見学に来てくれた人との対話を重ねた中で生まれた授業でした。

 英語使用での指示であるがゆえにTaskの明示、目標の明確化、説明の簡素化、適切な日本語使用が求められ、それはシンプルで、象徴的であればあるほど良いもの(私見です)であると思われる。その意味でリスニングのタスクの中で、既習の文法事項をほんのわずかな瞬間に意識させる手法は本当に見事なものだと感じました。

 生徒のみなさん、英語を使用しながら身につけていく知識、技能、コミュニケーション能力の高まりはすぐには実感できません。変化が見えにくいからです。それはらせん階段を上るようなものです。ずっと階段を、一つひとつ上っているのに何一つ周りの景色は変わらない。ため息ついて、ふと下を眺めてみるとずいぶん高いところに来ている。顔を上げて遠くを見てみると見えなかった風景が広がっている。語学学習はそういう営みの中で行われ、言語はその中で手に入れていくものなのですね。何より先生方は、一度らせん階段を上りきり、景色が変わらない中、上ることをわかった上で、皆さんと一緒に歩いているのです。そしてその営みが、新たな風景に出会えることを知っているから一緒に楽しんで(時には苦しんで)上っているのです。

授業内で使われていた先生のお言葉「自分の言葉で、再度考えるチャンスを作る。習った文法と語彙を使うんだ」。コミュニケーション能力を高める上での大切で、とても愛情の溢れるお言葉でした。私も勉強します。

 I am often afraid of being in some mazes, but I may possibly escape from a maze. As I see beautiful teachers in their lessons, I feel like studying(teaching) English again. This might be one of the keys to getting out of the maze I face.