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Take a trip to Japan from Australia. その2       Road-broad-abroad 10

2000年2月。Alice Springs Language Centre事務所開き。センター長だったキャスはAnzac Hill High Schoolの校長となり退所し、新センター長の席にはピーターがいた。彼の一番の関心ごとはPromotionだ。年明け初めて、新学期の会議だ。正面にインドネシア語を教えるドム、バリー、フランス語とドイツ語を教えるバーブ、秘書のクリス、日本語を教えるしんさん。そしてexchangeの私とインドネシア語exchangeのフランス。

ピ-ターより、今年の抱負を語るよう促される。一番最初にドム。「今年は、インドネシアへ生徒たちを連れていきたいと思う。ピーターもインドネシア語の教員だったから、賛成してくれると思う。」大きくうなずくピーター。「インドネシアに連れていくなら、同じ選択言語の日本語、日本へも連れて行かなくちゃ。よしの夢を叶えることにもなるしね。」ピーター困惑顔。バーブが持っていたメモをくしゃくしゃにした。ドムが突っ込む。「ちゃんと読みなさいよ」バーブは、「ドム。あなたと一緒よ。私もよしの夢をかなえてやりたいと書いてるの。先に言われて悔しいのよ。いつもおいしいところもっていくわね。」「気持ちが通じ合ってるとかセンターは一つなのねとは言えないの」とやり返すドム。いつもの軽妙トークだ。語調は強いが中身はいつも暖かい。すかさずクリスが「ピーター、あなたはついているわね。赴任早々二つの海外への語学研修を企画、立案、実施までこぎつけるのよ。持っている人は違うわ。キャスに付き添いはお願いしておいたから心配しないで。教育委員会への企画書はすぐできる。Promoteまちがいなし!」ピーター満面の笑み。「よし、しん、引率をお願いね。旅行社とのやり取りは私がするから旅の内容はお任せします。」バリーとフランスは終始にこにこしながらみんなの会話を見守った。

偶然なのか、どこかで話し合っていたのか。生まれて初めての海外への生徒引率が決まった瞬間だった。それも、海外の生徒を日本へ連れていくという経験となった。このあと果てしなく困難が襲うが、自分の人生を太く、強くしその後の25年を充実したものにする起点となる日であった。