シドニーオリンピック。陸上短距離のエース、キャシー・フリーマンが開会式で聖火ランナーとしてオーストラリアの新しい歴史を刻む瞬間に立ち会い、水泳では、イアン・ソープの大活躍などもあり国中が大きな高揚感に包まれていた。アリススプリングスも例外ではなく、オーストラリア"Great"を連発するKIDSの猛アピールが続いた。一方、幼さの残る生徒の中には日本は弱いという趣旨の発言をすることで自国のすばらしさを訴える姿も散見された。
22名のメンバーにはオリンピックが平和の祭典であることを十分に踏まえながら言葉を選ぶように指導することと旅は「いつ」、「どこへ」行くかも重要だが「誰」と行くかということも同様に重要な要素であることを告げた。Teamとしてお互いが高い目標を持ち、お互い高め合うことができるような仲間になるよう訴えた。言葉の問題はもちろんだが、文化の違いも大きく、なかなか簡単にはいかなかった。
発足当初困ったのはリーダーの決定であった。まじめで、聡明という点では間違いなくサイモンが適任であった。几帳面でルールをきちっと守るジェラードもいい。いつもニュートラルなロビーも候補者の一員であった。影響力は絶大だがやんちゃな2mサム、やんちゃ番長のテリー、口では絶対負けないノーラ、ナオミなどのことも考えると一つにまとまるのは至難の業に思えた。Behavior Managementについてはキャスが私に任せなさいと胸をたたいてくれていたので、日本への、日本での旅行でどうなりたいかという高い志を参加者一同に訴えながらチームビルディングをしていくことに決めた。しかし...。名前が呼べない。
サムがおどける。ここはしっかり聞かせるところだ。注意をする。「サム」と呼びかける。サイモンが振り返る。大エースサイモンはふざけない。きっちりと反応をしてくれている。声が小さかったのだろうと少し大きめで強めの声でサムの方を見ながら、「サム」と言う。まっすぐに私を見つめながらサイモンが返事をする。私の発音がカタカナ「サム」なのだ。サムを呼ぶためには曖昧母音をきっちりと発音してセィァムぐらいのつもりで声かけないとサム⇒サィモンと聞こえたのであろう。
サムは旅の間中、何度も叱り、サイモンには数えきれないほど助けてもらった。サムは叱った分だけ日本文化や日本の人々との触れ合いの中で大きく成長していった。この研修旅行の10年後にアリス発日本へのツアーの引率者の一人として大阪を訪れることになる。
オーストラリアの文化の中で、時間をかけながらチームになっていった。リーダーはその時、その時挙手で立候補した。「やりたがりの文化」だ。愛すべきオーストラリアの文化だ。
アリスを出発する前に渡航説明会をした。テリーから「日本にはマクドナルドはどれくらいあるのか?」という質問がなされた。彼はとても得意そうに「アリスには、マクドナルド(マックかマクドかは定かでなない)もKFC(ケンタッキーとかケンタ君とは言わない)もハングリージャック(オーストラリアでは定番)もSUBWAYもある。日本食がおいしくなかったときに食べるチャンスはあるのか?」と聞いた。東京で数えきれないマクドナルド、KFC、SUBWAYを見て驚いた。いや、実は、経由地のケアンズで驚いていた。大都会だと。何しろアリススプリングスを出たことのない生徒が大半なのだ。ローラとナオミは渋谷で靴を買いに行ったまま迷子になった。渋谷の交差点で待っている間にマラソンの高橋尚子さん優勝の報に触れた。NHKと書かれたカメラを持ったクルーに囲まれた。オーストラリア人に囲まれた日本人である私にインタビューが行われた。12:00のニュースでその映像が流れた。オーストラリアに行っているはずの高江洲が渋谷でインタビューを受けている。その日訪問予定の大阪の学校でも話題となった。
波乱含みの日本での研修旅行の幕開けであった。まだ序章である。