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Take a trip to Japan from Australia. その5       Road-broad-abroad 13

東京、浅草の浅草寺等で文化や歴史を学ぶ一方、渋谷での買い物など最新の日本のカルチャーを味わった生徒たちはキャスの一言で、ユースホステルでの大浴場体験をすることになる。元々集団でお風呂に入る習慣がない彼女たちにとってそれはまさしく異文化であった。提案しているキャス自体も本当は不安であったようで、お風呂の中の電灯を消して真っ暗な中での入浴となったようだ。 フロントから電話が入り、他のお客様の迷惑になっているから注意をするように仰せつかった。前述した渋谷で靴を買いに行ったまま迷子のナオミとローラ。大遅刻にもかかわらず笑顔で登場。「すみません。」の言葉に心を込めるよう諫言。 大阪へ向かう新幹線の中、楽しみにしていた富士山が雨のために見えなかったことで一同落胆。何とかしてくれという数々の声に、『実は、私は大変な雨男なのだよ...。砂漠のアリススプリングスでもその当時歴史上2番目の雨量になったの知ってるかい。』と心の中で呟きながら"Bad Luck"と返した。      

 大阪の下町、交流校では和太鼓で迎えてくれた。渋谷でのアクシデントで2時間近く遅れたが大歓迎された。ローラとナオミは何事もなかったかのようにおちゃめな笑顔を振りまいた。2泊3日のホームステイ。やんちゃなテリーはやんちゃな大阪っ子と回転すしを食べに自転車で走った。二人乗りをしている数組を交流校の先生たちとこっぴどく叱った。                        

 「チビ・デブ・ブス・バカ」を最初の日本語の授業で連発していたローラはホームステイ先のお父さんに生駒の夜景をプレゼントされた。あれだけの灯りはアリススプリングスにはない。「きれいです。」が彼女の語彙に加わった。

  言葉数の少ないアンソニーは、お茶の先生のお宅にホームステイ。2度目のお茶を断って「苦いです」、正座の苦しさを「痛いです」と表現し、自分の語彙にした。

  ロビーは三条付近の牛丼屋で「水をください」が通じて満面の笑みを浮かべながらガッツポーズ。(実はすぐ横で年配の男性が「水おくれ」と言っていた。ロビーにとっては「水をくれ」という文字が踊っていたはずだ。とすれば乱暴な日本語に聞こえたであろう。今の日本に住む高校生にはこの言葉はどう聞こえるのだろう?)

  身長2m近いサムは京都の市バスの天井が低いといやなことを言う一方、女子高生の人気の的となり、満たされた様子。将来日本で英語を教えるという目標を立てた。

 京都での最終日、朝早い出発だった。どうしても浴衣を買いたいということで営業時間前に店を開けてもらうよう交渉した。お店のご厚意で購入できた。「ありがとう」を心の底から何度も、何度も告げるジェラードはお辞儀をすることの意義を体感していたようだった。

 交流校での最終日。陽の傾く図書室でのお別れ会。キャスは「日本人はお別れの時に泣くのよね。オーストラリア人は陽気だから(泣かないわ)ね。」と言った。その言葉を告げながらお別れの挨拶で日本の子が泣いている様子を眺めた。エミリーが抱きつきながら泣いた。「あら、オーストラリアの子も泣くのね。」言いながらキャスも涙を拭いた。

文化が伝わった。波になって伝わった。

「東京の浅草も、大阪城も、京都のたくさんのお寺もよかったけど、一番よかったのは大阪の子供たちとたくさん話し、たくさん笑ったこと。大阪でのホームステイが一番よかった。」

生徒たちから得た言葉、人と人が移動し、対面し、想いが行き来する中で得る力。

 たくさんの感動を胸に京都を旅立つときに、生徒全員とキャスとが突然言った。「新幹線で東京に戻りたい。富士山を見たいから。」と・・・。

 全部の感動が流れるだす瞬間。飛行機のキャンセルと新幹線の切符の購入に走り回る。渋谷の街を探し回ったことも、東京のユースホステルのフロントで頭を下げたこと、「かなわん」ことがたくさんあった。

 富士山を見て「ありがとうございます」と深々とお辞儀をする姿を見ながら、彼(女)らの、そして私の人生のいつかどこかで役に立つことがあればそれでいいと思えた瞬間であった。波乱万丈に満ちた日本へのツアーも無事に終了。そしてそれは同時にここから23年にわたる国際交流に係る大きな一歩でもあった。

シンガポールへの研修が心の中でいつまでもキラキラと輝く体験となりますように!