歩んできた道、歩む道

 前回の集会2023年度の終業式でお話をしてから20日足らず。年度が終わり、年度が始まるということの意味をかみしめる日々となった。茨高生の前で話をできる機会も有限だ。一回、一回大切にしたい。出会いと別れを大切にする。あいさつの中で届けたかった想いをブログに綴ります。以下は始業式のあいさつです。

 1歳の子供にとっての人生の一日とは365分の1の重みがあり、10歳の子供にとっては3650分の1、60歳の自分にとっては約21900分の1。一日24時間、一年365日は平等で誰もが共有できるけど、その濃度や密度には差がある。これまで生きてきた時間という観点では目の前の1日の濃度、密度は生徒のみんなより低い。しかし、これから生きる時間を考えると私の方が目の前の時間が与えてくれるもの、ことの重みは大きい。

 春は出会いと別れの季節だ。出会いにも別れにも感情が伴い大きく心が揺れる。昨年度末、3月最終週に75、76期生が校長室を訪ねてくれた。学校説明会や地域連携の際に言葉を交わしたことがある個性的でとても魅力的な人たちだ。「人と違うことが面白い、変わっていると言われることは誉め言葉。少し突出して何かに挑戦することで新しい世界が見える。茨木高校という個性的な人であふれかえるところで思うように生きられたことはかけがえのない経験だった。もっととがって自分のやりたいことをやればいい。このようなメンバーと一緒に過ごせる時間が同じように今後もあるとは限らない。だからこそ、少し飛び出すことがあっても恐れず飛び立ってほしい。」在校生に対するメッセージと受け止めた。忙しい時間を縫って校長室を訪ねてくれたことは本当にうれしかった。日を改めてもう一人、75期生の卒業生が来てくれた。志望校の難関学部に合格したこと、自分が持っていたカンガルーがずっと机の上にあり、受験の日も一緒に会場までお供をしたことを聞いた。同じ大学・学部を目指した友人の合格と彼が持っていたカンガルーの話も聞いた。訪れてくれたすべての人と在学中にトータルで数時間も話したわけではなかった。過ごした時間の量より、交わした言葉の数より、通う思いのほうが大切なんだと気づかせてくれる機会となった。

 最終週にもう二組。コンタクトがあった。一組は31年前に卒業した二人だった。当時、勤めていた学校は勉強にすべてをかけることにためらいを覚える生徒が多く、あまり学校に多くを期待していなかった。その中にあってこの二人は学校、面白いことが大好きで、生徒会長と各行事の実行委員長をやってくれた。カラオケ機材を借りて少人数で盛り上がる文化祭や応援団のダンスにだけしか興味を示さなかった体育祭。文化祭は開、閉会式を生徒会主催とし、各クラスの催し物の紹介や文科系クラブや有志団体のパフォーマンスを披露する場とした。体育祭では各団の全員で演技をする時間を設けることを実現させ、応援団長が各団を率い全員参加型の行事とした。生徒会の選挙は教師が介入せず、生徒だけで行えるようにしてくれた。大学進学がかなわず、舞台俳優を目指し、東京で劇団に入ることを決意した。今は座長となりやっと大阪で公演ができるようになったので、4月4日扇町まで見に来てほしいという連絡があった。

 3月30日には30年前に卒業した生徒から突然の電話があった。軽音楽部の部長をしていた生徒とその旦那さん(3年のクラスメイト)が定年のお祝いに駆け付けるため私の自宅を訪れたが、不在のため電話をしたという。どうしても直接「おつかれさま」を告げたいからという強い主張があり、吹奏楽部の定演前に校長室にいた私のところを訪れた。同じ軽音楽部でドラムをたたいていた生徒は、英語が好きだから大学で学びたいということで講習を引き受けた。みるみる成績が伸び、志望校に合格し、大学卒業後、香港で日本語教師をすることになった。一時期ではあるが同業者となった。結婚式に招かれ、披露宴のスライドの中で、講習をしていた部屋を示し、私の人生の原点と伝えてくれた。30日に同行したかったが、東京在住のため叶わず、おめでとうのメッセージを夫婦に託してくれていた。

 49歳の二人、48歳の夫婦、75期、76期生と過ごした3月最終週。

 年度が変わり、4月4日。扇町での公演を訪れることは叶わなかった。卒業後10年の生徒が闘病の末、天国へ旅立ったという連絡を受けた。弔問に訪れ、通夜の会場で、卒業後の活躍が示される写真や映像、数々のものに触れた。大阪についての様々な研究発表。その成果物。人生を駆け抜けた。もっともっとやりたかったことがあった。やれることがあった。懸命に生きたすべてがそこにあった。

 その夜、公演に訪れられなかったことを詫びた。返信の中で、座長である彼は、「来てもらえなかったことは残念。28歳の彼が旅立ったその年は自分が東京へと向かった年。無念だっただろうな」と一言綴った。そして、「先生が校長になっても、たとえ偉くなっても、何が大切かを知っていて、そうあり続けていてくれる限り、また大阪でやれることを夢見て頑張ります。50歳を前にして、いまだに先生に見てもらいたい、先生の生徒やねんなって思えて幸せです。」と告げてくれた。

 様々な学校の様々な卒業生と様々な時間を過ごせた年度末。そして年度初め。10日足らずのこの短い期間で、一生を凝縮したような出会いと別れがあった。いつ最後となってもいいように生徒の皆さんと直接お話しできる機会があればためらわず話をしたいと心から思う一週間となった。春は出会いと別れの季節です。いい出会いといい別れとしっかり向き合い、かけがいのない時間を少し止まりながら、曲がりくねった道を歩んでいきましょう。よい一年となりますように!