ここのところ何日間か駅のエスカレーターや店先の自転車置き場で視線が交わったときに会釈をされることが続いている。自分の首回り、胸のあたりを丹念に調べてみる。大丈夫!名札はしていない。しかしご挨拶をして下さっているということは何らかの形での接点があったはずだ。丁寧にお辞儀をして笑顔でその場を後にした。背筋がピンと伸びた。
昨日は、働き方改革実践のために陽のあるうちに駅に着いた。「先生?」「高江洲先生」と声をかけられた。見覚えはある。面影もある。名前を名乗ってくれた。頭の中で髪形を変えて面影とぴったり一体となった。前々前任校で担任をした生徒だった。今はこの地域の中学校で教員をしているという話をしてくれた。もう卒業して16年になる。通り過ぎれば、それで済むところをわざわざ声をかけてくれたことがうれしかった。ショートメールで教員になるきっかけを私が与えたということを伝えてくれた。教師冥利に尽きる。
秘かな、小さな夢があった。3つあった。1.自分の友人の子供を教える。2.教え子(生徒)の子どもを教える。3.教え子(生徒)の教え子(生徒)を迎える。1は叶いました。2は類する体験をした。(また、ブログでご紹介します。)3.はもしかしたらもう叶っているのかもしれないが、まだ確認したことはない。
残り少なくなってきた教員人生の中で少しずつご褒美を頂いている。来週は茨高の卒業生が会いに来てくれるという連絡をもらっている。時間は有限だ。お話しする機会も有限だ。16年前の前々前任校の生徒とのほんの数分間、会釈を交わしたほんの数秒に力をもらえた。人の持つエネルギーの深さは無限だ。