一、十、百、千、万、億、兆...。単位を並べてみる。
皆さんは不思議に感じたことはありませんか。
A 100,200,300,400~
B 1000,2000,3000,4000~
C 10000,20000,30000,40000
漢字にすると
A 百、二百、三百、四百
B 千、二千、三千、四千
C一万、二万、三万、四万
Cでは桁の前に一を必要とします。Bは場面によっては一をつけることがありますよね。(例えば一千万円)理由については諸説あり、様々なことが考えられると思いますが、使用頻度が高くなると省略傾向があると考えると、千と万で使う頻度に差があったから一がつく分かれ目になっているとも推測できます。 (勝手な見解です。アカデミックではなく申し訳ありません)
参考:make have let 人 do(原形) help 人 (to) do(原形) get 人to do(原形)
百 (一)千 一万
億、兆、当然この大きな桁を円という単位で使う使用頻度は一般の人は少ないと考えると一がつくのは当然でしょうね。(私の一生ではついぞ巡り合わなかった...。)
では「選択する機会」を一生というスパンで考えた時には億、兆の単位に辿り着くでしょうか。それはみなさんが周りにあることに対してどう向き合うかによってその数は変わってくるのでしょうね。「兆」の機会があるとするならばその度に、之繞(しんにょう)を伴う「逃げる」になるのか、手偏(てへん)を伴う「挑む」になるのか。そして挑んだ数が「億」に到達したときに、りっしん遍を伴う憶(記憶)に残るものがどれだけみんなの人生を下支えする心の音になるのか想像もつきません。
昨日の第151代執行部役員選挙に「挑んだ」みなさん、一千人を前にして堂々と自分の考えを述べる経験は誰もが、いつでも得られるものではありません。「兆」の選択の中での「億」の機会とし、心の中にしっかりと刻み込み、大切な音にしてください。
高校生活がさわやかな風を呼ぶ一生の宝物になりますよう!