8月13日(火)人の時間を奪うということ=マレーシア航空で起きたこと 往路②
7月26日(金)は緊迫した長い夜でした。変更カウンターでは、添乗員さんとアダム先生が清水谷高校29人分と神戸龍谷高校17人分の宿泊や夕食のことを交渉していただいていました。ここでは何故だか個人客が優先で、団体は最後の最後に後回しにされ(先に処理した方が50人分程が早く片付くとは発想しないようでした。人を押し退けてでも自己利益を追及する"ビジネスマン"に対し、生徒に範を見せなければならない教育者は無力でした。)、我々が一人一人変更カウンターでホテルとその往復のバス、空港内での夕食のバウチャーをもらう手続きが出来たのは他の客が殆ど居なくなった午前1時を過ぎてからでした。この時間になって夕食のバウチャーが要るのかと、こちらに聞こえるように大声で罵ってキーボードをたたくマレーシア航空の受付窓口担当者には唖然としたしたが、きっとお疲れだったのでしょう。実際食べる時間はありませんでした。誰のせいでしょうか。この2つの高校の生徒と引率者は全員、この日の夕食は抜きということになりました。
この間、悪態をついてわめいて混乱に拍車をかけていた幾人もの"ビジネスマン"や個人客がいるなかで、清水谷高校の生徒は空腹を抑え、我慢強く待っていました。
添乗員さんは、日本の旅行担当者とオークランドの研修担当エージェントに対し、お互いに深夜にも拘わらず、オークランドで土曜日の朝に迎えに来る予定のバスや、土曜日の午前中に歓迎とホームステイ先に引き渡す準備をしてくれているMount Albert校の国際部の人たち、さらにMount Albert校に迎えに来る予定のホームステイ先の人たちに、土曜日には着かず日曜日の明け方前に到着することを伝えるために、必死に連絡を取ってくれていました。
バウチャー手続きの次は、マレーシアへの入国手続きです。入国カウンターで、個々人がQRコードからアプリを起動させて氏名、生年月日やパスポートの登録から宿泊先の住所まで携帯電話で入力する面倒臭い入国ビザの手続きをしました。電池が残り1%しかないと必要で手続きする生徒もいました。入力中に色々尋ねてくる生徒の対応をするためにその都度自分の入力画面が消えて、私も10回以上やり直してやっとビザが取れました。
ここでまた問題が起きました。マレーシアはパスポートの期限が6ヵ月を切った者の入国は出来ないという定めがあり、これに該当する生徒がいました。ニュージーランドにはそんな規定はなく、入りたくもないマレーシアにマレーシア航空のトラブルでホテルに泊まるためだけに入国するのに、ストップがかかりました。「一人で空港に残ります。」という生徒をなだめて、添乗員さんたちが交渉を重ねてくれた結果、今回は入国できることになりました。全員がマレーシアに入国した時には午前2時15分を過ぎていました。夜中とはいえ、熱帯の国の暑さが空腹と疲労に追い討ちをかけてきます。
空港を出てバス乗り場に行きましたが、最後の大型バスも満員で、それ以外の大型バスは出払っていて、全員が乗れる大型バスはありません。ホテルまで50分はかかると聞いていましたので、声をかけてくれたバウチャーの使える小型バス何台かに分乗してホテルに行くことにしました。私と一緒の最後のグループが乗れたのは午前3時ころで、ホテルに着いたのは午前4時前でした。生徒は空腹の不平を口にすることなく、良く耐えました。添乗員さんから、凄い、素晴らしい生徒だと絶賛されました。
ホテルでの手続きも、パスポートのコピーやバウチャーの確認には時間をかけて細かい割には、部屋数や部屋のベッド数の配分がいい加減で、不思議でした。我々の先発隊が10数部屋を確保してくれていましたが、後から到着した客の多くはオーバーブッキングで部屋が無いと追い返されていました。単純に2人を1部屋にしても部屋数が足りないので、生徒に3人グループを募って手を挙げてくれたグループに窮屈な思いをさせながら生徒全員に先に部屋に入らせて、私も最後に残った1部屋の鍵をもらってやっと自分の部屋に入ると、なんと!部屋の中に更に部屋が3室とダイニングキッチン、ソファがあり!!?、全部でベッド5つとシャワーが2つあるとんでもないスイートルームでした。こんな部屋を頼んでない!もう勘弁してくれと、シャワーを浴びてブログを書いてベッドについたのは、午前5時半を過ぎていました。朝食は7時からと言われていました。死んだように1時間半眠りました。