0117 あの日から27年

1月17日。阪神淡路大震災から27年の日です。

ちょうど職員室で、
その時とまだ産まれていなかった先生と、1歳だった先生と、子供を育てる育児休業中だった先生と、もうすでに先生として働いていらした先生と、私とで「今日は1月17日ですね」という話をしていました。

産まれていなかった先生や、1歳だった先生がいたことで、尊敬する大阪市内の小学校の校長先生が教えてくださった「将くんと優ちゃん」のお話をここに書こうと思いました。
「将くんのホームページ 阪神大震災」で検索すると、ホームページが出てきます。

1歳半だった将くんと優ちゃん。震災のほんの2時間前、泣いた優ちゃんだけを別の場所(おばあちゃんのところ)にうつして、将くんはその場所のままにしてしまったことを今でも悔やんでいるお母さん。そもそもあの日神戸に連れて行かなければと、将くんの命を奪ったのは自分だと、自分を責め続けるお母さん。

ほんの紙一重のことがたくさん起きるのが震災です。「その時」を体験したわたしたちだからこそ、紙一重が起きるということ、誰も悪くないということ、だからこそ精一杯生きるのだということ、伝えられることがたくさんあるのだと改めて思いました。

私は震災当時は大学生。1月17日以降3月末までは大学の授業がなくなって、後期の試験もなくなりました。とはいえ、レポート課題などで代替の課題が出た科目も多かったのですが、一番苦手だったロシア語だけは、何のレポート課題も連絡もないまま、全員単位取得となりました。

同じロシア語選択の友人たちとクラスに集まり「ロシア語だけ何もなくなって良かったー」と話していた数日後、ロシア語の教授の娘さんが私たちと同じ大学生で、一人暮らしの神戸のアパートで震災により亡くなられたことを聞きました。
それを聞いた私たちは「ロシア語だけ何もなくなって良かった」と発言したことを、ものすごく、ものすごく後悔しました。
27年たった今でも、その教授の顔を思い出し、なんとも言えない罪悪感に襲われます。

私たちの発言を、ロシア語の教授が聞いたわけではないけれども、発言というものは本当に気を付けてしなければならないと身を持って感じた出来事で、震災のたびにそのことが思い出され、幼かった当時の自分を恥ずかしく思う気持ちでいっぱいになります。

こういったことも、あの日を経験しているから思うことで、まだ産まれていなかった皆さんに伝えていくのも年長者の1つの役割だと思い、書きました。
将くんのホームページ、ぜひ読んでみてください。

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