京都大学で勉強してきました・・・。

 7月28日に京都大学で「高校教員のためのシンポジウム―活力ある日本の若者教育をめざして~大学だけでなく、社会ともつながる高校教育の構築」が、京都大学・東京大学・電通育英会の共催、河合塾教育研究開発本部の協力で開催され、このシンポジウムに参加してきました。このシンポジウムは、前日の「大学生研究フォーラム2014」の一環で開催されたものなのですが、前日には「変貌する大学の入口と出口:大学・企業には何ができるか」のフォーラムが開催されていました。この27日のフォーラムは、登壇者が多士済々でほんとにおもしろいと思ったのですが、仕事の都合で参加できずです。

 さて、翌日の28日のシンポジウムを紹介したいと思います。スケジュールは、こんな感じで行われました。

 10:00       開催 趣旨説明と1日目のレビュー

 10:25~10:55 講演①「企業研究の立場から~企業がどのように若者を育成しようとしているのか」 

             中原 淳(東京大学総合教育研究センター 準教授)

 10:55~11:30 講演②「大学の立場から~大学が社会に通じる力をどのように育てているのか」 

             杉田 一真(産業能率大学経営学部 準教授)

 11:40~12:15 講演③「高校の立場から~高校教育はどのように変わるべきか」 

             三浦 隆志(岡山県立玉島商業高校 校長)

 12:15~13:30 ランチセッション(分科会会場に移動し、昼食を取りながら交流)

 13:30~15:00 ジグソーセッション(グループ毎に3つの講演を受けたテーマに沿って議論をする)

 15:20~16:40 クロスセッション(分科会での議論を全体でシェアし、議論を深める)

 16:40~17:20 クロージング(今回の成果の確認と次年度への展望)

見ていただいたらわかるように、昼食休憩もセッションに含まれているような休憩もほとんどない過密スケジュールのシンポジウムでした。ジグソーセッションでは、5人から6人ぐらいでグループワークを行うのですが、企業の方や大学関係者、高校関係者が混ざってのワークのなので「異種格闘技」のような感じでワークは大変有意義でした(何の因果かわかりませんが、グループ発表をさせられてしまいましたが・・・)。

 このシンポジウムの中で東大の中原準教授の話が大変参考になったので、以下私なりの解釈で紹介します。(「間違っている」とご本人に怒られるかもしれませんが・・・)

 まず、中原準教授が述べられた点は、「働くことは急速に変化している。私たちが高校生だった頃と同じじゃない」ということです。つまり、①そもそもみんなが就職できるわけではない。正社員と非正社員という雇用の多様化が起こっており、大卒の非正規率が増加しているということ。ということは、大学時代にボヤっと過ごしていると痛い目にあう。「テニスサークルの副主将やってます」とか「コンビニのアルバイトで副店長」では就職できないし、大学時代に、いかなる経験を積むかが課題である。②組織キャリアから自律的キャリアへ移行が起こっている。会社に入社すれば、自然とキャリア形成ができていくということではなく、組織(会社)が仕事人生を丸抱えしてくれないので、自分のキャリアは自分で自立的に決めていくしかない。だから、自分の仕事人生を切り開く覚悟を持つ必要がある③新しい仕事が生まれ、高い経済価値を生み出しているので、組織内での専門性を磨く組織内プロが重要である。が、その一方で、多くの新しい職業が生まれる裏で、多くの職業が消えている現実がある。たとえば、デューク大学のキャシーデビッドソンは、「2011年度に米国の小学校に入学していた子どもたちの65%は、大学卒業時に今は存在しない職業に就くだろう」と述べている。だから、高次思考力をはぐくみ、専門性を常に磨き続けることが大切である。

 それでは、どうすればよいかということです。まず、第一に言われたことがびっくりです。「まずは、入試をしっかり経験する」ということです。つまり、受験勉強には意味があって、「プランする経験(自己制御学習)」「演繹経験(高次を支える基礎)」「忍耐する経験(やりきる経験)」だというのです。さらに言われたのは、「安易な入試」に逃げない、すでに大学名がシグナルになっている時代は終わっている。これからは「どんな入試体験をしたか?」が問われてくるだろうということです。つまり、安易に推薦入試やAO入試に逃げたり、三教科型の私学に逃げたりしてはダメなんだ、十分な高次の基礎を積み上げるためにしっかりとした受験(おそらくセンター試験を想定した5教科7科目型のことだろう)を経験し、やりきることが重要であると、中原準教授は強調されていました。

 その上で、大学に入ってからは「しっかり勉強して専門性をつける=根なし草になってはいけない」と。半年に一度は、「見通し」をもつ、「実行する」、自分の将来を考える、それに基づき「行動する」、もしずれがあれば修正することが必要であると強調されていました。さらに、「やりたいことがよくわからない」と若者がよく言うが、学歴の差によって「やりたいことがわからない」その後の行動が違うのだとも述べられていました。つまり、高学歴層では、「やりたいことがわからない、あーわからない、わからない」のあとで「でもやってみる」、つまりとりあえず前に進む、結局自分の志望を見つけていくとう行動がある。しかし、そうでない層には、「やりたいことがわからない、あーわからない、わからない」のあとで、だからやらない、先延ばしにする、何もしない、結局、自分の志望すら見つからないということになると中原準教授は述べておられました。学歴層の差によって、このような行動パターンがあるかどうかは私は確信が持てませんが(実証的研究をしていないので)、確かに、このような二つのパターンの若者がいることは事実です。彼が言うように「まずはやってみる、駄目なら修正すればいいじゃないか、それによって違う道がみつかる、それも違えばまた探せばいい。そうやって志望というのは見つかるものだ。とりあえず、やってみよう!」というのは大賛成です。動かなければ、自分が何者か、何に向いているのか、他者と交わらなければ自分が何者かわかりませんからね。一時期、「自分探し」という言葉がはやりましたが、社会とかかわらないで思考ベクトルを内側に向けて他者と交わらない中で『自分』なんて見つかるわけがないというのが、私の意見です。

 最後に中原準教授が述べていたのは、「異質な人間関係を重視する」ということ。高校でも大学でも学力という物差しで切り取られた集団であるという傾向があることは否めない。だから、そこに集まる集団は同質化してしまう。ところが、社会は異質なものの集まりなので、学生時代から異質な関係に慣れている者は強いということです。だから、大学時代からインターンシップや社会のボランティアなどを積極的に取り組み、異質な人間関係を大切にしようと述べられていました。

 以上が、東大の中原準教授が述べられていたことの骨子なのですが、いかがでしょう?中原準教授の年齢はまだ40歳にはなっておられない新進気鋭の学者であられるわけですが、彼の口から「受験をしっかり経験する」という言葉が出てくるとは思いませんでした。ここからは、私の意見なのですが、私にとっての受験の意味は、「リベラルアーツにつながる基礎教養をしっかり積み上げる」ことだと思っています。その積み上げが、大学での専門的な学びと研究につながっていくだろうし、自らのキャリアを切り開くことにつながると思っています。ですから、私は高次の学習につなげるためにも安易な入試に逃げずにリベラルアーツにつながる5教科7科目型のセンター入試に力点を置くことが必要だと思います。私は、数学の教師ですが、センター試験(私のころは共通一次試験、実は共通一次試験1期生です)の勉強を通じて様々な教養を身につけました。倫理を勉強することで、いろいろな思想や哲学も触れられましたし、その経験で大学時代には哲学書もよく読みました(本業の数学はおろそかになりましたが・・・)。一冊の哲学書を読みつぶしてしまい、同じ本を3冊買って何度も何度も呼んだ経験があります。また、理系であるにも関わらず、ロシア文学にも興味があって、ツルゲーネフやチェルヌイシェフスキーなどのロシア革命前の文学作品も読みました(ロシア語では、人の名前も活用変化するのには参りましたが・・・)。特にプレハーノフの「歴史における個人の役割」は若い感性に大いに刺激を与えてくれたと思っています。

 以上、京都大学百周年時計台記念館という非常にアカデミックな会場で行われた知的刺激に満ちた1日の報告でした。参考になりましたでしょうか?