2月12日―1・2年生人権学習―多様性の大切さ

 本日2月12日に1年生・2年生の総合学習の時間に人権学習が実施されました。2年生は、「障がい理解」というテーマで大阪教育大学の学生である市田君と山森君の二人が来てくれました。市田君は、大学に入学して車いすで勉強する山森君に関わって思うところを、山森君は幼稚園から大学までの学校生活を中心に車いすでの生活とその周囲で関わった友人たちのことを話してくれました。私は大阪教育大学出身で、学生のころには大学の移転問題がありました。「あんな山の上に大学を作って、車いすの学生はどうするんや」という思いが学生のころからあり、その大学に山森君が車いすで通っていると聞き、また寮に住んでいると聞き、正直複雑な気持ちで聞いていました。

 1年生は、各テーマ、各グループに分かれて学習をしてきたテーマについての発表会が行われました。テーマは「障がい者」「在日韓国・朝鮮人」「ニューカマー」「琉球民族」「アイヌ民族」「女性問題」というまさに「多様性」をテーマにした内容です。1年生の学びで大切だなと思ったのは、各グループが実際に現場に出かけ、その人と会って学んでいることです。学校の教室に来てもらって学ぶこともできますが、やはり現場で学ぶことはとても大きいと思います。現場の雰囲気が持つ臨場感は言葉以上のものを私たちに伝えてくれます。

 さて、今回のテーマは1年・2年とも多様性に関すること。この社会には様々な人が生活をしている、その多様性こそが重要であり、「互いが互いを認め合うこと」の大切さの学習でした。このことについてミクロとマクロの視点で少し述べてみたいと思います。

 まず、ミクロのこと。ミクロと書くと何か大層ですが、なんのことはない私事です。私が子育てをしたところは、多様性そのもののような土地柄でした。そこには、在日韓国朝鮮人の人達もたくさん住んでいますし、すぐ近くの公営団地は、ベトナム難民を受け入れる団地だったので、多くのベトナムからの人たちが住んでいました。近くのコンビニに行けば、ベトナム語が飛び交っているような土地柄です。私たちはあえてこのような土地を選んで子育てをしてきました。夫婦共働きなので、子どもたちは一歳にならないうちから保育所通いです。保育所の子どものクラスには、在日韓国人の子どももいましたし、ベトナム人の子、そして中国系ベトナム難民の子もいました。みんな一緒に保育所で育ちました。子どもたちが育つにつれ、家にも遊びに来ますし、遊びにも行きます。それがとても自然な環境です。私は今風でいうと「イクメン」をしていました。保育所の送り迎えもしていましたし、保護者の会合にも行きました。お遊戯会にも行って劇で出演もしました。そんな中でいろんな立場の親たちと知り合えて、彼らが日本で住んでいくことの「しんどさ」も肌で感じましたし、話も耳に入ってきました。子どもたちにとっても、多様性などという言葉を使わなくても「いろんな人がいる」ということが生活の一部なので、多様性が当たり前の環境でした。今は、あのころまだ子どもだったベトナムの子たちが、一人前の大人になってベトナム料理店やベトナム物産の店などがあちこちに開かれています。「たくましさ」を感じます。そんな環境が私はいい環境だなと思います。「いろいろが当たり前」なのですから。

 次はマクロのこと。多様性ということがいまほど重要なことはないと思います。多様性を認め合えるのかどうかは、国の行く末をも左右するのではないかと思います。フランスのこの間の動きを見ているとまさにそう思ってしまいます。フランスは伝統的に移民を受け入れてきた国ですが、ここ最近は移民排除の声が高まっています。今回のテロ行為で犠牲者がでました。シャルリ・エブドに対するテロ行為は絶対に許されるものではありません。そして全世界的に「表現の自由」をもとめて行動が起こったのも至極当然です。しかし、テロ事件後に掲載したシャルリ・エブドの風刺画は、イスラム教徒にとっては耐え難いものでした。イスラム教徒ではない私も直観で思いました、「これはないよ、これはやったらあかんことや」と。最初の頃の報道は「表現の自由」が優勢でしたが、この風刺画に対する批判が徐々に増えてきました。相手の信仰を傷つけることをして、そこに本当に解決の道が得られるのだろうか?ということです。これがフランス革命の伝統をもつ風刺画の文化なのだといわれたらそうかもしれませんが、私たちが学んだ「自由・平等・博愛」という精神からすると残念な気持ちです。多様性を認めてこそ解決の道が開かれると思います。

 古代ローマ時代、フランスがまだガリアと呼ばれていたころ、カエサルによって征服されました。ローマ帝国、征服という言葉から想像されるイメージは、征服者と被征服者のイメージになりますが、カエサルがやった統治は、自治を認めることであり、彼らが信仰する宗教を認めることだったのです。この政策を塩野七生さんは「寛容」と表現されていますが、まさに多様性を認めるということではないかと思います。そうでなければ、1000年もローマ帝国が続くはずがないのです。

 今日、市岡高校で学んだ「多様性を認めること」は、今後の世界史においてもとても重要な視点であることは間違いありません。今日学んだことを大切に育ててほしいと思います。以上、今回の人権学習について感じたことを書きました。

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