格差社会と高校生

 格差社会の拡大を多くのメディアが取り上げるようになったのは、2011年の「ウォール街を占拠せよ」運動あたりからだったと思いますが、昨今の文脈でいえば、その源流は18世紀の産業革命を起点とする近代資本主義の成立に求められると思います。おそらく、資本家が労働者の生み出す付加価値を独占搾取する、という二項対立の構図から始まったのでしょうが、当時はそれのどこが悪いんだ、というくらいの社会認識だったのではないでしょうか。

 しかし近代民主主義の発達過程で、基本的人権や労働者の権利が法の力を得て、資本家を抑え込んでいきます。その結果、資本家は労働者の生み出す付加価値を独占できなくなり、その多くを労働者に還元していくという(社会全体としての)トリクルダウンが機能し始めました。そして資本家と労働者の格差は縮まり中間所得者層が増え、有史以来最も格差の少ない社会を形成していくことになります。ただ本来は、資本家がこれを黙って受け入れるはずがないのですが、共産主義革命勢力の台頭が抑止力となって、この「羊の皮をかぶった資本主義」が続くことになりました。もちろん資本主義の世の中なので需要と供給と在庫と金利の兼ね合いで景気は変動を繰り返しますが、全体としては格差の少ないまま、労使みんなで頑張れる良き時代でした。つまり、数年前ブームになったピケティ教授ふうに言えば、人類史上、所得分配率(みんなの給料の増え方)が資本収益率(お金持ちの財産の増え方)を上回った唯一の時代でした。

 ところが、資本家の欲望を封じ込めていた東西冷戦が両陣営の財政を疲弊させ、対立の象徴であったベルリンの壁が崩壊(1989年)。これをきっかけに資本の蓄積に劣る共産主義陣営が守勢にまわると東欧諸国の自壊が始まり、それは本丸のソ連の解体にまで突き進みました。また、もうひとつの本丸であった中国も社会主義市場経済への道を選びました。ここから一気に資本主義の巻き返しが始まります。最初は英国のサッチャリズムや米国のレーガノミクスからだったと思いますが、本当の巻き返しはその20年後のリーマンショック(2008年)からではないでしょうか。あまりに激しい世界規模での信用収縮ですべての国が破綻寸前となりました。こうなるともう法がどうのこうのと言っていられなくなり、法の骨抜き化が一気に始まります。それを世間では「規制緩和」「聖域なき構造改革」と言い換えていたように思います。

 ここで我慢に我慢を重ねていた資本主義が羊の皮を脱ぎ捨てて狼の本性をむき出しにします。つまり仁義なき自由競争です。(フリードマンを引っ張りだし、新自由主義の時代が来た、という論調が多かった。)労働者の権利は企業の倒産危機という脅しの前になすすべもなく蹂躙されていきました。生き残りをかけたコスト競争の為に、企業はヒトもモノもカネも最安値の生産地を求め国境を越え移動を始めました。グローバル化の始まりです。規制緩和が(つまり、法が)それを許しました。ITとロボットがその動きを技術的に支えました。生産基地になれるのは、よりコストのかからない場所だけ。それ以外は空洞化するか、最も安い生産コストに合わせて貧窮化への道を歩むかの二者択一。それを免れる企業は特別な技術かノウハウを持ったトップ企業だけ。免れる個人は、特別な技術か才能をもつ一握りのスペシャリストだけ。つまり、みんながめざせる目標ではなくなり、ここから本格的な格差社会が幕を開けることになったのです。

 そんな中、若者には高校生には、グローバル人材として「外国に負けない専門性と語学力と行動力」が求められるようになりました。仁義なき国際的自由競争を勝ち抜くための有効な方法は、国際言語である英語を操り、日本の技術力とホスピタリティを世界に売り込んで外貨を稼ぐ人材の育成とされ、この文脈が大手を振って語られるようになったのが、リーマンショック以降のことでした。ただ、先ほど申し上げました「ウォール街を占拠せよ」以降は、このあまりにも一面的な錯誤はさすがに修正されてきたように思いますが・・・。

 随分、前置きが長くなりましたが、では拡大する格差社会の中で生徒たちがめざすべき人材とは、どのような人材なのでしょうか。ひとつは、やや食傷気味ではありますが、世界を相手に戦えるタフなグローバル人材です。この人材が世界から外貨を獲得し国のマクロ経済を維持発展させます。ふたつめは、グローバル人材が獲得してきた外貨を国内で活発に循環させる仕組みを作ることができるイノベーティブな人材です。この人材は、外国人を日本に誘致して外貨を落とさせることもできる内需型グローバル人材、つまりグローカル人材です。そしてみっつめが、このグローカル人材を支える専門性を身に着けたフォロワーです。ひとりひとりが専門性を持った役割を担っています。専門性というのは、独立自営業者であろうがサラリーマンであろうが、いざとなったら自分でモノやサービスを作りだす技量がある、というほどの意味で、AIが苦手な分野のひとつです。

 昨今、やや否定的に語られるようになってきた「グローバル化と自由競争」ですが、それはそれで間違いだと思います。格差社会の原因はグローバル化でも自由競争でもITでもロボットでもなく、その結果得られる富を独占することができるルール、あるいはそれを許す法の不備だと思います。仁義なき自由競争に免罪符を与えてきたトリクルダウン(=強者から弱者への富の滴り落ち)は大方の予想通り起こらなかったのですから、まずは独占された富を今日的に再分配する方法を法的にしめしてほしいものです。ベーシック・インカムなど面白い考え方はたくさんあるのですから・・・。