次に、和田賢秀墓と伝えられる墓所に行きました。和田賢秀は、楠正行の家臣で、
勇将として知られていました。正平三年(1348年)の四條畷の戦いの際、
正行が討ち死した後も一人で敵将高師直の首を討とうとしましたが果たせず、
敵に首をはねられました。この首が敵の鎧に噛みついて離れなかったと
言われていることから、賢秀は「歯神さん」と呼ばれて厚い信仰を受けているそうです。
入り口の石柱は、本校前身の四條畷中学校の教職員と生徒、つまり先輩が、贈られたものです。
改めて、歴史を感じました。
2025年4月
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