「核」を英語で何と言いますか。「考える」ところからのスタート。"Nuclear" エネルギーとして使うのか兵器として用いるのか。大きな力を有しているからこそ、「考える」力が必要だ。いつでもこの世を終わりにする力を身につけているからこそ、その真の恐ろしさを知る人がいる。生み出すパワーがすごいからこそ、処理する廃棄物も大きい。多くの人の幸せにつながる、その一方、一瞬で不幸にしてしまう力を持つ。軍縮なのか不拡散なのか。各国の国益やパワーバランスの中でその行く末がわからない。日常の中で考えたことはあるが、思いを馳せられていたかというとどこかで当事者意識が欠けていたかもしれない。

人権講演会長崎大学核兵器廃絶研究センター 副センター長・教授でいらっしゃる樋川和子先生のご講演~国際社会と原子力~の中で79期生の頭の中で描かれたであろう一コマをお示しした。ご講演が終わり、質疑応答の際に「もう少しみなさんの話が聞きたかった」と生徒に向かって語りかけてくださいました。第2部の中で、原子力について、原発について、現代の社会問題についてという3つのテーマにパネリストである生徒とのやり取りを通じてお感じになったことだとするなら、携わり、準備に費やした時間がキラキラと輝き彩られるものになったのではないかと感じました。切れ味鋭く、様々な問題に対してコメントをされながら、人を包み込むような優しさで発言を受け入れ応えてくださるお姿は講演会の中身と同様心に刻み込まれるものになっているように思えます。
今日、校長室を訪ねてくれた人権委員長、副委員長の二人は樋川先生の大きな心で受け止めながら繰り出す剛速球を会場の79期生がキャッチしていることを心から喜んでいました。講演会当日まで、困難にもたくさんであったけれど会の中での79期生の学びの深さと知見の広がりが感じられたことでその苦労が吹き飛んだようでした。
当日ご提示いただく直前までスライドの精査をして下さり、聴衆に寄り添いきったご講演に心より感謝申し上げます。樋川先生ありがとうございました。
会の企画、実施、運営心休まることなく当日も走り続けた人権委員のメンバーたち、そして委員長を始めとする幹部の人たち、ありがとうございました。今という一点だけではないこれからに思いを寄せる機会が得られたことは何物にも代えがたい贈り物です。