芸術鑑賞

 6月17日の午後に3学年とも芸術鑑賞が行われました。1年生は文楽、2年生は演劇、3年生が能です。私は会議と出張でどの学年の取り組みにも参加できず、非常に残念な思いです。次回は必ず参加したいと思います。

 さて、市岡での芸術鑑賞には、文楽・能といった日本の古典芸能が組み込まれています。このような取り組みを行う府立高校は、そう沢山あるわけではありません。特に能を鑑賞する学校は、少ないのではないでしょうか。卒業してから個人でお金を払って鑑賞するという人は、そんなに多くないと思います。実は、私は文楽も能も鑑賞したことがないのです。テレビでたまに観ることはあっても生で見たことがない。この年になってこの経験がないことは、恥ずかしく思っています。やはり、自国の文化を体験し語れなければ、駄目だと思います。外国人は、日本人が思っている以上に文化と宗教についてはこだわりを持っています(誇りと言ってもいいと思いますが・・・)。だから自国の文化を語れない者は、それだけで尊敬されないという話はよく耳にします。この企画は、是非とも続けていきたいと思います。能や文楽以外にも歌舞伎や古典落語を鑑賞できればいいですね。

 能と聞いたときにいつも思い出すのは、世阿弥が記した「風姿花伝」です。世阿弥はその書の中で人生のそれぞれの段階でどのように能を鍛錬すればよいかということを書いています。興味深いのは、24、5歳の青年期です。このころは、声も身体も一人前となり、若々しく上手に見えます。人々に誉めそやされ、時代の名人を相手にしても、新人の珍しさから勝つことさえある。そんな時に、本当に名人に勝ったと勘違いし、自分は達人であるかのように思い込むことを、世阿弥は「あさましきことなり」と、切り捨てています。

「されば、時分の花をまことの花と知る心が、真実の花になお遠ざかる心なり。ただ、人ごとに、この時分の花に迷いて、やがて花の失するをも知らず。初心と申すはこのころの事なり」

巷の芸能界では、毎年多くの新人がデビューし、そして消えていきます。私は、いつも新人俳優が今後どのように成長するかを楽しみにみているのですが、やはり世阿弥が言うように30代半ばで人を惹きつける何かを持つためには、この時代に奢ることなくひたむきに努力をした人なんだろうと思います。この世阿弥の言葉は、芸事だけではなくすべての事象に通じる非常に含蓄のある言葉だと思います。社会人になって3年・4年目あたり、少し仕事を覚えて自分一人で仕事ができるようになる時期です。何かしら自分が一人前になったような気になってしまいます。そういうときこそ、大きなミスを起こしてしまうものです。やはりひたむきな努力に勝るものなしと思います。

蛇足ですが、私の年齢の50代について世阿弥はどのように書いているかというと、

「このころよりは、おおかた、せぬならでは手立てあるまじ。麒麟も老いては駑馬に劣ると申すことあり。さりながら、まことに得たらん能者ならば、物数は皆みな失せて、善悪見どころは少なしとも、花はのこるべし」

とまことに手厳しい。「麒麟も老いては駑馬に劣る」といわれています。しかし、ホンモノであるならば「花はのこるべし」と言われているので、まだまだ精進の日々です。

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