10月第2週。週末の今年最大の行事や校長の職務上の出張がひしめき合う第3週に思いを巡らせながら家路へと向かう途中、「えらいこっちゃ」という声。神様から叱咤、激励を受けているのかと思ってあたりを見ていると、ひときわ大きな声で「えらいこっちゃあ~」より大きな声が、天からではなく地面に近いところから発せられた。3歳に満たない女の子が座り込んでいる。お父さんは少し前を歩いていて、お母さんはのぞき込んで子どもの様子をご覧になっていた。
道路に落ちていた大きな葉っぱ、それを見つめ、撫でながら、「えらいこっちゃ」と今度は小さな声で、母に届くように告げ、顔を見つめた。お母さんは、「(絵)本で調べようね」と声をかけ、子どもははっぱをそっと置き、父を追い越して駆け出した。そこから大きな声で繰り返し、繰り返し「えらいこっちゃ」と叫んでいた。お父さん、お母さんはその声が「えらいこっちゃ」と思ってはるんじゃないかな、と思いながら先を歩いた。
大人にとってはなんてことはない落ち葉。その命を終えた落ち葉を見て感じた「えらいこと」。子どもの時に、不思議と思ったことが何かを学ぶきっかけになり、それで世の中が変わっていっているとするなら「えらい こっちゃ」は大歓迎なことなんだろう。 上の写真はサンプルです。↑
命を全うした葉っぱ、駆け出した瞬間の子供の左右に揺れる後ろ姿に力をもらい、今こうして綴らせてもらえている。 偉い子っちゃ!