1998年、夏、国際交流、海外研修を始めるためにオーストラリアの町を訪れ、交流校を探し、プログラムを作ってみる研修へのお誘いがあった。平成元年(1989年)に採用されたものの、コミュニケーションの道具として、英語を使えている自負のない当時の私にはとても参加する勇気がなかった。当時の勤務校の校長は、豪快な人で、「どうせクラブを頼めないから行けませんって言うと思っていたので、研修中、代わりにクラブ全部面倒見られるようにスケジュール空けといたわ。」と申込用紙を手渡された。強引に参加を促された豪州研修ツアー、シドニー、アデレード、メルボルン。オーストラリアの大都市の中でも、少し車で郊外へ移動した位置にある高校を紹介してもらいどんなことができるかを示してもらった。大阪から参加している高校は私立が多く大半は校長先生、教頭先生、理事の方々で学校経営の視点からこのプロジェクトの持つ意味の大きさは計り知れないと告げられた。公立高校で自由自在に交流されると私立としては困るからあまり力をつけないでねと冗談ぽく管理職の先生方から言われたが、海外の学校と交流をするということは想像の世界を脱することがなかった。オーストラリアにいながらである。しかし、その翌年、オーストラリアで日本語を教えることになる。
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