1999年8月、春に向けて生命が生き生きとしだしたころ、授業が本格的に始まった。本来はexchange teacherは一人で授業することができない。これは日豪で交わした契約書でも書かれていた。しかし幸か不幸かペアで行うはずだった日本語の先生が体調が思わしくないということで、一人で教室に行くことが増えていった。結果的に自分の好きなように授業がマネジメントできるようになっていった。
小学校は担任の先生がいるところでの授業なので生徒たちも比較的いい子にしており、充実した内容の授業が行えた。以下は2010年の帰国教員のブログでの第2号の記事だ。
小学校6年生(year6)に大人気だった「よべみの歌」と「数字ダンス」を紹介します。ハーモニカを持って市内の小学校を回り、ドレミの歌の節で(生徒はsound of musicと叫んでいた)。kana can be easyのお世話になりながらひらがなを導入して文章を書かせた。 歌は次のとおり、
よ Yo is Yoshi is scared of snake
べ Be is flying Boomerang
み Mi is me is twenty one, liar
た Ta is Japanese letter, ta
の No is no entry sign
ま Ma is Mam is angry
き Ki is only key
す Su is pig's tail,sui,sui
できるだけドレミの音にあわせようと段だけはそろえた。この文字を入れるだけで、
「読みます。飲みます。食べます。来ます。着ます。聞きます。見ます。」
を導入できたので市内各地の小学校でハーモニカと私と子供達の歌声がこだました。
次に 頭、肩、膝、足の歌が流行っていたので、
数字ダンスというのを使って
1 手を掻く動作 itch
2 膝を指さす knee
3 太陽を指さす sun
4 女の子を指さす she / あくびしてyearn
5 手を上に突き上げLet's go. go
6 ロックダンシングと腰を揺する。rock
7 バナナをむく動作 banana
8 ハッチを開ける hatch
9 列を作る que
10 ジュースを飲む juice
子供たちはrock が大好きで腰をゆするところでどの学校でやってもいつも大笑いした。帰国後短期ステイでNew ZealandやAustraliaに生徒を引率したときにやってみたが年齢を問わず爆笑の渦に包まれた。21世紀の世の中でもオセアニアの人々の心をつかめるダンスであることはまちがいない。
この当時のブログでは書けなかったが、町中の子供が出会うとあちらこちらでやってくれたジェスチャーがある、それは自己紹介の時に示した、「よしっ」(良昌の「よし」だ)。日本人は「よしっ」と言って気合を入れると説明をして、右手を曲げて腰のあたりで勢いよく前から後ろに引く、この動作をしながら「よしっ」と叫ぶ。小学校の授業の初めにみんなで同じジェスチャーをして、「よし」と叫んでから授業が始まる。気合を入れて勉強しようということだ。
ランニングしていても、スーパーで買い物をしていても、児童は私を見かけたらみんな「よしっ」と声をかけて来る。誰一人おろそかにはできない。小さな町である。いたるところに生徒がいる。あちこちからジェスチャー付きで声がかかる。ジェスチャー付きで返す。ドーナツ屋さんの入り口で小さな女の子がこちらを見て、微笑んでいる。ほっこりとした気分で愛らしさを満喫していたが、油断大敵である。こんな小さな少女の右腕が腰のところではっきりとした角度を示し、「よしっ」ポーズをしていたのであった。きれきれの「よしっ」をプレゼントした。少女が母親に「あれがよしなのよ」と説明している姿に目をやりながら、自転車へ歩もうとしていたらnaughty boysの「よしっ」3連発を食らった。
日本語を教えに行ったはずである。歌とダンス、そして折り紙は町中に広がった。シドニーオリンピックの前年、20世紀最後の年を迎えようとしているオーストラリアのど真ん中、23年半も前の出来事である。時間が許す限り、ご紹介してみようと思う。