4月の最終週である。廊下から教室の中を眺めると、黒板やスライドに書かれてあった名前や自己紹介のTipから各学年、各教科の状況に応じての授業が展開されている。社会の授業で史実について熱弁をふるう先生、生徒が前に答えを書きに来る様子や昨年も見た水筒を軽くたたく音、それぞれの先生の持ち味を発揮されながら、生徒のみなさんの様々な反応を引き出している。あたりまえのことだが、改めて、学校というところで授業があり、学びがあり、そこで得た知、力が新しいものを生み出すエネルギーとなっていく瞬間に日々立ち会えているということは本当に素敵なことだと感じている。
「願い」を持つことが大事です。折に触れて、生徒のみなさんにお伝えしている。だからこそ、羨むだけでなく、自分自身もいつかまた、「教える」ことができる日を「恋焦がれよう」と決意した。
15:30、丁寧なノックの音。3年生の生徒がクラス、番号を告げ、校長室を訪れました。以前、質問したいと言っていたものですと自己紹介をされ、先週ばたばたとして機会を逃していたことに気づきました。
「過去形」「過去分詞」は同じ形であり、受動態として使われる「be+過去分詞」で表す意味と副詞として使われる過去分詞単体の意味の違いがうまく整理できないので教えていただけますかと問われました。(質問の意味をとり間違えていたらすいません。)難問です。あれだけ教えたいと恋焦がれていたのに、この質問について明快に答えられそうにありません。教えるのが好きで、あきらめが悪いのが持ち味なので、いろいろと話をしながら、文法的に眺めて区分けすることの大切さと言葉そのものが持つエネルギーに着目しながら着地点を見つけようということになりました。
「現在分詞」と「動名詞」が、そもそも同じ形なのに2つの働きがあるということがしっくりこないという話になったので、そこを糸口に説明をし始めました。
~ingは健気に、いつも「一定の期間その行為を続けています」という世界を表現している。I am talking to you.はまさしく「私は君に話をしています。」を表し、一定の期間続く行為を表している。そしてこの言葉は「現在分詞」、そして今の自分の気持ちを表すとすれば、I enjoy talking to you.このtalkingはenjoyの目的語だから「動名詞」。そしていま私はあなたと話している。talkingという行為が一定あって初めてenjoyできる。文法的には「動名詞」だけど起こっている事実は進行中の動作であるということ。enjoy, stop, give upなど目的語の一定の期間なされる行為があってこそ完結することを表現できる動詞群である。I am talkingもI enjoy talkingも「話している」というingのエネルギーを受け取ることで理解できる。~ingの持つエネルギーは「している」
以上の説明をしましたが、動詞の目的語としての「動名詞」、be動詞と結びつく「現在分詞」という「区分け」の観点から離れられない様子でした。文法的な説明と言葉の変遷を伝えながら理解をしてもらうことが大切かと思い観点を変えて説明することにしました。
言葉は使われる頻度が高ければ高いほど簡素化され、省略される傾向にある。目の前に魚が出されて、Can you eat this fish?と問われたら、その日本語は。「この魚食べれる?」おそらく今、一定の人は「食べられる」より「食べれる」を用いるでしょう。「ら」抜き言葉です。ところが、昨日変な夢見てん。夢の中で「魚に食べられてん。」この「ら」は抜きません。使う頻度の高い言葉は、省略化されていく傾向がある。使役動詞のmake, have, letも元々は目的語to doという形で使用がされていたが、頻度高く使われる中で原形が使われるようになった。(諸説あるようです。)helpはまさに今、その途上にあり、to不定詞も原形不定詞も使われています。(現役を離れて6年め、果たして大丈夫か。この説明...。)ただ、get 目的語 to doは残っています。これには2つ理由がある(と私が勝手に思っているだけです。諸説でもありません。お叱りにならないでください。)getには様々な用法があり混乱を招くというのが一つ。もう一つは人に何かをしてもらうという目的語に対して敬意を払えるのはgetだけなのでtoを取り除くことはないのではないか。目的語と動作にtoを入れることで少し距離をとり敬意を払う。(言葉の配置、距離と敬意。)
じっと黙って説明を聞いてくれています。すごいスピードで頭を回転させている様子が見て取れます。言葉が省略されることについて理解してくれたようなので、続けて、
~して時間を過ごす、~してお金を使うという表現として、spend 時間(jikan)(in)~ing, spendお金(okane)(on)~ingがあることを確認。前置詞が必要であったことも説明した。昔、教師になって10年ほどたったころ、この前置詞の違いを教えるためになんかいい知恵はないかと考えたときに、jikanの中にinがあり、okaneの中にonがあることに気づき、これで覚えたら間違えなくなるだろうととっておきの教え方として自慢げに暮らしていたが、数年たったころ前置詞なしでも使えると文法書が一斉に語りだした。数週間、数か月かけて、思い付き、編み出した方法だったが、(そもそも言語を教えるという意味では邪道)伝える必要のないものとなってしまった。伝えたいのは、in(on)~ingの場合は前置詞の目的語なので動名詞、そして今の文法書ではおそらく現在分詞になっているのではないでしょうか。こう考えると、~ingの世界が見えますか。ネイティブにとってingは一定の期間行為が続くというエネルギーを持ったことばなのですね。ネイティブにとって語感という意味で、クイズ出すから答えてください。
There is a basketball in the gym.
There is a basketball game in the gym.
There is a member of the basketball team in the gym.
日本語にすると「体育館にバスケットボールがある」「体育館でバスケットの試合がある」「体育館にバスケット部の部員がいる」違いは、「に」「で」「いる」「ある」どう違うか説明を求めましたが、すぐには答えが出てきませんでした。ネイティブにとって感覚的に使うという側面があることに理解を示してくれた。(場所にものがある、人がいる / 場所で行事がある)
そもそもの「過去形」「過去分詞」、「受動態」「分詞(構文)」の質問についての答えに至るまでに、to doとhave, be。助動詞の世界。副詞と可能性の話、否定語と過去形が長文読解の中で果たしている役割等様々な話をした。紙幅に限りがあるので、機会があれば、又、お話ししたいと思います。疑問を持って訪れたときの顔、納得のいかない中で私を見つめる顔、理解できたときの笑顔。「in, onが省略されたときに、全部無駄になったってむなしくなかったですか」と労わるように語りかけてくれたときに、「でも、そこで考えたことが20数年たって今、君の役に立った。そう、思うとあの時考えてよかったと心から思えている。」そう私が言った時、一瞬の沈黙の後、「突然やってきて突拍子のない質問に答えてくださってありがとうございました。」と深々とお辞儀をしてくれた。校長室を後にして部屋を出ていくときに、最後に部屋のドアを両手でそっと閉める様子を見ながら、「お辞儀をしたいのは私の方ですよ。教えたいという願いを叶えてくれてありがとう。」という言葉をぐっと飲み込んで見送った。校長であることは大変で、大切で、校長先生であり続けることは至難の業であることを改めてひしひしと感じた。そして道を求めて、何度も校長室に、尋ねに、訪ねてくれたことに心を射られた。言葉って本当に大切だ。
I spent wonderful time (in) teaching English to one of the students who has difficulty understanding what the words really mean.