第一中間テスト3日め。今年度初めての定期考査。特に一年生にとっては高校での初めてのテスト。中学時代と比べても疲労度は髙いことが予測される。生徒玄関で挨拶を交わしていても普段とは違う表情や声の調子を感じることがある。
何の励ましにもならないが、「試験完成時の自分が最強説」をご紹介する。試験を作っているときはありとあらゆる観点から尋ねたいことを眺め、どのように問うことが最善なのかを検討しつくす。出来上がったものはある意味「作品」だ。そして模範解答をつくるときの自分は何段かそれよりも精度が落ちている。今まで自分の作ったテストで取った最高得点は98点だ。愚かな告白になるが、生徒を翻弄しようとして作った仕掛けに悉く自分がはまる。そしてその問題を絶賛する。作った自分が間違うのだから、すごく巧妙な問題が作れたと自画自賛する。間違えている。何か大きな間違いをしながら数十年も仕事をしてきてしまった。試験の出来不出来は結果として出るが、大事なのはその後どうその質問(問題、課題)と向き合い、次に同じ失敗をしないかである。(98点ではまったく説得力がない。申しわけない。) (ここから先長くなるのでお時間がない人はご無理なさらずに...)
テストづくりとは別に教科書や問題集、参考書作成にかかわったことがある。教科書作りの際には2レッスンを受け持ち絵文字の歴史についてと外国から来た落語家さんについてのレッスンを書いた。落語家の方のインタビューの中で世界を旅することが趣味、中でもキューバ滞在時に出会った普通の人々との触れ合いが自分の人生に大きな影響を及ぼしたというお話を頂いた。「普通の人々」を英語にする際に編集会議で議論になった。新話英大辞典によるとnormal, regular, common, usual, ordinary, everyday, general, conventional, averageなどの単語が示される。例文を見たり、派生させたり、対義語を比較したり、大学の先生や数か国のネイティブにも尋ねて最終的には上の中の1語を選択した。
「普通」って何だろう?大学2年生。一年浪人してやっと入った大学であったが、この年のほぼ1年間、大げさではなく挨拶(会釈)以外誰とも話をしない(できない)1年を過ごした。教育心理学、中でも臨床心理学を学び、その学びが進めば進むほど自分 (identitiy)が分からなくなり、対面した時に発話できず、笑うこともなくなった。それなりにはやり過ごせていたのだろう。1年次の友達も3,4年時のゼミ生も特段、私の様子がおかしかったようには思っていなかった。苦しかった。その当時、それなりに分析したら、卒業した高校は進学者が2~3割、それ以外は就職あるいはその他の進路を選択する人が多かった。大学1年次にいろんな学生と話をしながら、自分はこの大学ではいわゆる「普通」ではないのだと感じたのだと思う。学費が高く、自己負担(学費半額、生活費)が約束だったので働いているのか学んでいるのかわからないような日常もかなり厳しかったのだろう。カウンセラーあるいは教員をめざす自分がこんなにコミュニケーションができなくて大丈夫なのか、ずいぶん自分に問うた。中高の友人たちにこのことを言っても、教員になってから同僚の先生や生徒にこの話を伝えても誰も信じてもらえなかった。なぜだったんだろう?なぜ消せない過去や苦しい現実を打開できなかったんだろう。その理由はわからない。だけど、この一年間があったからこそ、様々な高校の様々な生徒と心から理解し合える素地が得られたのだと思う。自分から話しかけられないということがよくわかる。心の底から理解できる。AloneであってもLonelyではないが、誰かと一緒にいて、大勢の人の輪の中にいてもLonelyなことがあるということを知った。教員として生きていく上でこのことを体験できたこと、40年たった今は、良かったのだと思える。その当時はそんな日が来るとは思えなかった。
試験もあと一日。苦しい時間を過ごしている人もいるかもしれません。自分にできることはあなたがロッカーを通って教室に向かっていることを知っていますよ。(はじけてはいないが)笑顔を添えて「おはようございます」(訳:ありがとう!がんばろう!応援してるよ!多数意味有)を届けることしかできませんが、そっと、じっと、ずっと見守っていきますね。もう来週が5月最終週。今年残り7か月、今年度残り10か月。かけがえのない時間を大切に過ごしていきましょう!