時は昭和  Tone-Stone-Milestone 1

大学の教職課程室。教員採用試験の合格が叶わず、常勤講師の職を求めて訪れた。大阪南部の高校からの英語の講師を求むとのことで、翌々日に面接を受けに行った。閑静な住宅街。「いろいろと課題はありますが、若い先生にとってはいい経験になりますよ。」と言う校長先生の言葉の中の「先生」と呼ばれたことに何かむず痒いものを感じながら「よろしくお願いします」とお応えした。

入学式を終え、始業式が済み、授業が始まると様子は一変した。ベテランの先生から授業中に危険を感じたらすぐにドアを開けて大声を出すようにと指示を受ける。時間割の中には廊下当番、休み時間にはトイレ当番などの文字が書き記されていた。

1年生の副担任になり、2週間たったころ、その授業の中で違うスリッパを履いた生徒が席についていた。(学年ごとにスリッパの色が違う)最初が肝心ということで声をかけた。(上級生が新卒の教員をからかうために1年の教室にいることがあると聞いていた。)「机の上の足を下ろしてね。」何も言わず、ただ見つめられる。(QuietとSilentの違いを実感する。)他の生徒が息をのむ様子が感じられる。彼(女)らにとっても初めて見るに近い生徒だったのだろう。にやっ(にこっではない)と笑いながら足を下ろす。「君はこのクラス?スリッパの色が違うけれど...」「留年したら授業受けたらあかんのか?」あらゆる意味でしてはいけない声掛けだった。この後数えきれないほど犯す過ちの第一歩だった。やっとの思いで登校してきた気持ちを慮れなかったこと、情報共有をできていなかったことを心から詫びた。昼休みの15分ぐらいの時間のやり取りであったが、こちらの誠意は伝わったように思えた。(去り際の「またなっ」と言った時ににこっとした感じがした。)

翌週、彼は担任の先生とのやり取りの中で自制できず退学することとなり、先生は入院をすることになった。大学卒業後3週目で担任をすることとなり、遠足の引率をすることとなった。元号はまだ昭和である。