依然、昭和  Tone-Stone-Milestone 2

5月半ば担任の先生が復帰され、無事?数週間の担任業務を終えた。幸か不幸か自分自身の中高の学生生活と程度の差はあれ、大きく変わらない学校生活で何を大事にしていけばいいのかを理解することができ始めた。大学で臨床心理学を学んだことが実際の場面でも役立つことを実感し始めたころ、採用試験を受験、全く歯が立たなかった。飲み会の場でベテランの先生から「君が生徒の声を受け止めて、生徒が自己実現していく様子にいつも勇気をもらっている。けれど、君の生徒は、今、ここにいる500数十名の生徒だけじゃない。これから出会う何千、何万の生徒のために採用試験の勉強をしてほしい。」多くの人の、大きな声が飛び交う中、小さな声で囁いた、でも深く大きな意味を持った心に深く染み入る言葉だった。この後、年齢、世代、役職、立場を問わず、相手の人生を考えて、本当に必要な言葉を選び、言葉を交わし、想いを通わすことを心掛け続けられた原点はここにあった。(ドラマならこの後試験に合格、涙のハグ、感謝の言葉のやり取りになるのだが、不合格、不採用であった。翌年、9月からの復帰。半年勉強に専念したことにより昭和最後の年に3度めの正直で合格。曲がりくねったからこそ見える景色...。)

翌年の9月に復帰してからも、カッとしたら抑えが利かない生徒が、様々なプロセスを経て、結果的に退学するに至るまでの経緯、そして最後の日にくれた「先生ごめんな、あんなに話してくれたのに、我慢でけへんかったわ」の一言、停学中の生徒の家庭訪問先で、床の間の日本刀が雷の灯りに照らされる部屋で生徒の父親に「先生に息子預ける、悪さしたら遠慮なく叱ったってくれ」とおなかに響く低音ボイスで託されたことなど一生忘れられない1年半の常勤講師生活を送った。

今と同じ「和」のつく昭和の出来事である。「昭」は4つ点が点いたら、「照らす」、令和の「令」に2つ点をつけたら「冷」である。大きな功罪、振幅のあった昭和。洗練された規律の中で過ごす令和。「和」はどうやって作るのがいいのか。示唆に富んでいる。