言葉のかけらでつくる新しい景色 Reflection 3

幸か不幸か夏は終わ(ら)(りそうに)ない。まだ夏を振り返られる。茨木市中学生向けの説明会に大いに心揺さぶられた8月21日(木)、ちょうど一週間前の出来事。観客の能動的な参加を促し、多様な視点を提示する表現活動を展開されている尾角典子さんを講師にお招きし、本校の美術室でワークショップを開いていただいた。

校舎を飛び出し、飛び込んでくる風景を言葉にし、その言葉をカードに書き出し、みんなで持ち寄りながらその言葉をつなぎ、紡ぎ、綴っていく。同じ場所を歩き、同じ景色を見ているようで、見ているものが違っていたり、違うものを見ていたり、同じものに対して違う表現がなされる。形容詞が違っていることには思いが馳せられても、名詞が違うことには予測が及ばない。受け止めたものに差があり、取り出すものにも差があり、差し出したものにも差がある。そして差し出されたものをさまざまな形で繋ぐ、繋げることで全く新しい世界に出会う。   ―言葉のかけらでつくる新しい景色― 

参加者は一様に新鮮な喜びで満ち溢れていた。正しい答えが一様でないことはこんなにも心地いいのだと生き生きと伝えてくれる時間が流れた。

尾角様、コーディネーターの斎藤様、茨木市の関係者のみなさま、良い機会をくださりありがとうございました。参加した生徒のみなさんの豊かな発想に刺激を受けました。ありがとう。美術部顧問の先生にも感謝の言葉を送ります。ありがとうございました。

ワークショップのほんの一部しか拝見できなかったがその奥行きの深さに体の中心の温度が下がった気がした。何かとてつもない可能性を感じたからだろう。この夏休み言葉にできない出来事に翻弄され続けている。何かを懸命に追い求めながら生きてきた人たちの背中とその背中を大きいと感じた10代の人たちの何かを見つけようとする研ぎ澄まされた向き合う姿勢に数多く触れたせいだろう。振り返るには8月が短すぎる。そう感じさせる茨高生の夏だ。一生もののエピソードがまだまだある。