ものすごく暑かった体育祭の一日を終える儀式、閉会式。成績発表。集計結果を待ち、団員がみんな一堂に会し、体運会記録部長の声を待つ。多くの音に包まれ続けた体育祭の中で静寂が訪れる瞬間だ。歓喜の渦、涙、笑顔、感謝の言葉。様々な感情が一斉に動き出し、次の言葉を待つ。3つの部門と総合成績。4度訪れるチャンスに息を飲む。
記録部門の係から審査について尋ねられた時に思わず吐いた弱音が、差をつけるのは難しいということだった。与えられた項目に対して、自分の基準を新たに設け採点に入る。しかし、この数か月、寸暇を惜しんでどのように踊るのを考え、どの音楽が適するのか、どのタイミングで次の曲へ移行する、そのタイミングは、長さは。みんなの思いも好みもさまざまにある中で着地点を見出し、素案ができる。踊ってみて、共有して、次はそれをどのように伝えるか。その営みを繰り返し、何度も試行錯誤をして伝えられたものが昨日のリハーサルでの演技。そして一日。今日の出来栄えは昨日をはるかに越える。3年間、ずっとそのすさまじさに触れてきた。順位をつけるのは至難の業だ。
優勝総団長の言葉の中で届けてくれた。多くの人の応援があったからこそ、今、みんなの前で話ができている。すべての団が全力で今日を迎え、取り組んできた中で今自分がここにいる。総団長すべての人の実感の伴う言葉だと思う。78期生として2025年に体育祭を迎え、同じ時間を過ごし、同じ熱さを味わえた。そのことに喜びを感じられたら、表彰という、成績というものだけではない大きなものを得られる機会として茨高の体育祭の本質的な意義を感じられるのであろう。130年の歴史の中で、多くの先輩方がこの体育祭を通して学んだものが紡がれている。今、片付けが終わり、団集会の案内があった。4年前に初めてこの集会を見た時に、ここに茨高体育祭の源泉があるような気がした。私の心の中にある葛藤などは吹き飛んでしまうくらい様々な人の思いが通う中で一生分の何かが得られるだろう。
今日は一日、放送部のきめ細やかな競技に関する案内や指示。そこに至るまでの体運会の積み重ねられた論議の後を感じました。参加する人、特に3年生の一生心に残る体育祭を願って、織り込むように、編み込むように幾重にも練り込まれた準備の跡が見えました。朝の自転車置き場のポールを並べるところから片づけに至るまで10時間近く誰かのために力を注ぎ続ける人への感謝の思いでいっぱいです。
体育祭の様々な場面で長の役割を果たした3年生のみなさんお疲れさまでした。運営に死力を尽くした1・2年生のみなさんありがとうございました。様々な場面で力を添えていただいた先生方ありがとうございました。
そして、大きな役割は担わなかったけれど、託されたわけではないけれど、いろんな人と話をし、誰も気が付かなかった仕事を実は黙々とやってくれたあなた。誰かと誰かを繋ぐためにさりげなく言葉を用意してくれたあなた。実は体育祭の成功はそういうあなたたちのおかげでもあるんです。是非お礼を言わせて下さい。ありがとう。信じ切る、信じぬくことができた人。一生ものの体育祭になる。お疲れさまでした。