『最高の物語』
1年前。大きな期待と勝利への渇望を胸に臨んだ選手権。気が付けば77期のキャプテンの胸の中で大粒の涙を流した僕がいた。そしてその時、1年後必ずこの舞台で打倒強豪私立を成し遂げると誓った僕がいた。
それから僕はキャプテンに任命していただき、大好きなこの畷高サッカー部を引っ張ることのできる喜びはもちろんあったが、それ以上に本当に僕がチームを勝たせられる存在になることができるのか。能力も技術も高くない僕が伝統ある腕章を付けるに値するのだろうか。76、77期のキャプテンのようにかっこいい背中を見せられるのだろうか。といった不安に駆られる日々が続いた。だからだろうか、僕は心のどこかで「いいキャプテン」であろうとしすぎていたのかもしれない。それゆえに僕自身がこのサッカー部で本当に成し遂げたいことやチームに求められていることを見失っていたこともあった。
そうして公立校大会を迎えた。結果は言うまでもない。負けるべくして負けた。強いチームを作るどころか僕らの姿は弱いチームそのものだった。僕の無力さがそのまま映し出されたような気がした。みんなの前で弱音を吐くようなことはなかったが正直僕がキャプテンでない方が良いのではないかと考えたこともあった。
そんなとき僕を支えてくれたのはそれまで先生や先輩方からかけていただいたたくさんの"言葉"であった。
僕は初めて"言葉"の偉大さに気付いた。そしてまたそれは実に無力だと言うことにも気付いた。
キャプテンになってからの1年間で僕は伝えるということを大切にしてきた。365日のうち350日以上は何かしらのことを伝えてきた。だがそれを全て覚えている人はいない。僕が伝える"言葉"をきっかけに変わってほしい。そう思って伝えていた。しかし事はそう簡単には進まない。初めは同じことを何度も繰り返し伝えることに苛立ちというか呆れを感じていた。しかし、公立校大会での敗戦を機に自分自身を顧みて考えたことで、伝えることの本質を見誤っていたことに気が付いた。
"言葉"を形創るのは受け手である。
それまでの僕は僕が経験し、考えた形のある"言葉"を伝えることでそれを聞いた人たちも同じ形を受け取り、成長できるのではないか。と考えていた。だが、人によって経験や考えは異なるし個人としてどう在りたいのかも異なる。だから同じ"言葉"でも持つ形は人それぞれであるし、そもそもその人にとって僕からの"言葉"は形を持たないもので聞き流されてしまうこともある。むしろそれがほとんどであろう。自身をより成長させよう。上手くなろうとする人は僕からの滑舌の悪く拙い"言葉"であろうともたくさん形創り、成長してきた。そのような姿を見ると形を持たずに消えていった僕の"言葉"も無駄でなかったと思えたし、何より成長した姿を見るのがこの立場を務める上で大きなやりがいを感じる場面であった。
さて、78期生は次の"言葉"を覚えているだろうか。
「君たちは過去最低の代だ」
ここから始まった僕たちの畷高サッカー部での物語はクライマックスを迎えようとしている。1年前の選手権で流した涙。公立校で無力さを思い知って流した涙。インターハイであと一歩届かず流した涙。今思えば泣いてばかりだった。だがその涙は全て明日から始まる最高の舞台のため。この涙があったから今の僕らがいる。
最後に、ここまで僕らの活動を支えてくださったOB、OGのみな様。陰ながら常に応援してくださった先生方。時に優しく時に厳しく指導してくださったO先生。外部コーチとして僕らに足りないものを与えてくださったY先生。この上ない多忙の中でも僕らのために全力で指導してくださったA先生。新しい体制となって僕らに寄り添い続けてくださり僕らをここまで成長させてくださったS先生。そして試合のたびにたくさんの応援をくださり僕らが全力でサッカーに打ち込める環境を作ってくださった保護者の皆様。本当にありがとうございます。明日からの選手権。選手一同全力で闘いますので応援のほどよろしくお願いします。
また、ここまで頼りない僕を信頼し着いてきてくれた部員のみんなにも感謝を伝えたい。本当にありがとう。
さあ今こそ始めようじゃないか。過去最低と呼ばれた代の過去最高の物語を。
3年プレイヤーK
掲載:顧問佐藤
選手権ブログ⑱
2025年09月13日 20:43
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