「夢」について考えさせられる文章と出会いました

 校長  片山 造

 校内を掃除しながら、校長室の椅子に座りながら、日々イロイロ考えたり考えさせられたりしています。考え続けていると、ひょんな時に思わず「なーんだそうだったのか」と自分なりの答えにたどり着いたりするものです。(自分は何がしたいのか?夢は何か?)を考えていた時、先輩の校長先生からある本の一部を紹介されました。少し長い文ですが 最後まで読んでいただけるとありがたい。以下、福島正伸著「真経営学読本」より抜粋。

ある中学校から「2時間ほど、『夢』について話してください」と依頼されたことがありました。その時の話です。私は、講義に先立ち、子どもたちに紙を配布して、そこに夢を書いてもらうことにしました。今の中学生がどんな夢を持っているのかを知りたかったからです。

 どれくらい書けるか心配でしたが、実際やってみると、なんとみんなどんどん書いていくではありませんか。これには驚きました。みんなたくさんの夢を持っていたのです。中には36個も書いた子もいました。その子にとても興味を持ち、どんな夢を書いたのかを読んでみました。その内容はとても不思議なものでした。

「駅前でティッシュ配りをしたい」「スーパーのレジが打ちたい」「共稼ぎの夫婦になりたい」

「あれっ?これって夢なんだろうか」と疑問に思うものばかりだったのです。

 もしかしたらと思って、他の子の夢を見てみると、やはり「工事の現場で棒を振る仕事がしてみたい」といった、すぐにでもできそうな仕事がたくさん書かれてありました。もちろん、「運転手さんになりたい」「美容師さんになりたい」といった夢もありましたが、その一方で、夢とは言えないようなありふれた仕事や、中には、「猫になりたい」といった、本当に理解できない夢までありました。私は、強いショックを受けました。

 「ぼくは、いつの間に駅前でティッシュを配る仕事を、夢とは思えない大人になってしまったんだろう?」

 子どもたちの目には、どんな仕事も夢に見えていました。子どもたちには、猫にだってなれるかもしれないと考えていたのです。しかし、同じものを見ても、私の目にはそうは見えていませんでした。  ~中略~

 「福島さん、どうして子どもたちは、どんな仕事でも夢にできるのか、わかりますか?」校長先生は、私に聞きました。

 「いや、わかりません...」

 「子どもたちには、仕事の中身はわからないかもしれません。でもそんなことは彼らには関係ないんです。だって、彼らは、仕事をしている大人たちの姿や表情を見ているだけだからです。その大人たちが笑顔で仕事をしていたら、それを夢にするんです。ですから、きっと駅前でティッシュを配っていた人は、笑顔で生き生きと働いていたんじゃあないかなぁ。子どもたちはそういう姿を見たんだと思いますよ。スーパーのレジ打ちをしたいと書いた子は、きっとレジを楽しそうに打っている人を見たんですよ。共稼ぎの夫婦になりたいと書いた子は、お父さんとお母さんがすごく仲が良くて、いつも楽しそうに過ごしているんだと思います。猫になりたいと書いた子は、もしかすると、猫が笑顔で道を歩いているように見えたんですよ」

 この話を聞いて、合点がいきました。子どもたちが見ていたのは、大人の姿だけだったのです。それをしている人の姿が、笑顔かどうか、楽しいかどうか、輝いているかどうかだけだったのです。その仕事の困難さ、ステータス、待遇、そのようなものはまったく関係なかったのです。

 社会を、子どもたちの夢であふれたものにできるのは、大人たちです。大人たちが、自分たちの仕事に誇りを持ち、生き生きと仕事をすることが、子どもたちに夢を与えることになるのだと思うのです。