以前、福泉だよりに書いたことのある私の親父の話。親父は、曲がったことが大嫌いな人だった。殊に、息子の私に対しては、どこまでも厳しく、ほめられた覚えがない。私にとってそんな親父は、長らくの間、私の行く手に大きく立ちはだかる存在だった。
中学校の時のこと。学校で盗難が相次いだ。家で母と姉とその話をしていると、新聞を読んでいた親父が「学校ではどうなっている?」と聞いてきたので、「自分には関係ないから知らない」と言ったところ、親父が「他人ごとにするな!」という言葉とともに、頭に(げんこつ)が落とされた。その後、今でもなぜだかわからないが「多分、〇△君がやったと思う。みんなもそう思っている」と言ってしまった。親父は私との距離をつめ、鬼の形相で「それを見たのか?」と聞いてきた。「見てはいない」と私が答えると、「見てもいない、確認もできていないことを軽々しく言うな」と再びげんこつが落とされた。
あれ以来、自分で見ていないものに対しては憶測や先入観で語らず、厳格でありたいと思っている。
自分の子どもにはこう言うことにする。
「自分の言葉には責任を持ちなさい。見てもいないことを見たかのように言うものではない。相手を思いやり、そこにある何かを推測しながら慎重に言葉を伝えなさい」。
その場になった時、果たして子どもに言えるだろうか。精進することにする。