―― 「タイサンボク」と川端康成の『片腕』――
5月末から6月にかけて、本校プールの北側にある、「タイサンボク」が白い大きな花を咲かせています。近づくと甘い香りが漂ってきます。そして、食堂の前に、もう1本ある「タイサンボク」はD館2階、3階の廊下から、白い花を見下ろす事ができます。
―― 639.だいさんぼく [もくれん科] Magnolia grandiflora L. ――
「タイサンボク」について、前回ご紹介した牧野図鑑から、牧野の絵と記述を一部抜粋してご紹介します。
明治の初めに日本に入って来た北米原産の常緑高木で...幹は直立し、大きいものでは高さ20mぐらい...葉は、大形で長さ20cmぐらい...枝の端に大形の白い花を開く。花径は12〜15cmもあり、強い香りを出す。
[日本名]大盞木、大山木または泰山木は花や葉が大きいので賞賛してつけたのだろうか...『牧野新日本植物図鑑』(牧野富太郎著)より
「だいさんぼく」は「タイサンボク」と同じ、大盞とは「大きなさかずき」という意味です。タイサンボクの属する「モクレン科」の植物は花のしくみが原始的で、被子植物としては化石がもっとも早い時期(ジュラ紀、白亜紀)から産出されています。
(生物科 有明)
―― 川端康成「片腕」より ――
※「泰山木」の描写を抜粋しました。
......私はその日の朝、花屋で泰山木のつぼみを買ってガラスびんに入れておいたが、娘の肩の円みはその泰山木の白く大きいつぼみのようであった。
......雨もよひの夜のもやは濃くなって、帽子のない私の頭の髪がしめつて来た。...かふいふ夜は湿気で時計が狂ふからと、ラジオはつづいて各家庭の注意をうながしてゐた。またこんな夜に時計のぜんまいをぎりぎりいつぱいに巻くと湿気で切れやすいと、ラジオは言つていた。
......「先きにはいつておくれよ。」私はやっと扉が開くと言つて、娘の片腕を雨外套のなかから出した。「よく来てくれたね。これが僕の部屋だ。 明りをつける。」
「なにかこわがつていらつしゃるの?」と娘の腕は言つたようだつた。「だれかゐるの?」
「ええつ? なにかいそうに思へるの?」
「匂ひがするわ。」
「匂ひね? 僕の匂ひだらう。暗がりに僕の大きい影が薄ぼんやり立つてゐやしないか。よく見てくれよ。僕の影が僕の帰りを待つてゐたのかもしれない。」
「あまい匂ひですのよ。」
「ああ、泰山木の花の匂ひだよ。」と私は明るく言つた。私の不潔で陰湿な孤独の匂ひでなくてよかつた。泰山木のつぼみを生けておいたのは、可憐な客を迎へるのに幸ひだった。私は闇に少し目がなれた。真暗だつたところで、どこになにがあるかは、毎晩のなじみでわかつてゐる。......
......ガラスびんの泰山木が大きい花をいつぱいに開いてゐた。今朝はつぼみであつた。開いて間もないはずなのに、テエブルの上にしべを落ち散らばらせてゐた。それが私はふしぎで、白い花よりもこぼれたしべをながめた。しべを一つ二つつまんでながめてゐると、テエブルの上においた娘の腕が指を尺取虫のやうに伸び縮みさせて動いて来て、しべを拾ひ集めた。私は娘の手のなかのしべを受け取ると、屑籠へ捨てに立つて行つた。
「きついお花の匂ひが肌にしみるわ。助けて......。」と娘の腕が私を呼んだ。
(『川端康成全集』第八巻 より )
川端康成の『片腕』という短編小説は、ある男(「私」)が、若い美しい娘の「片腕」を借りて自分のアパートに持ち帰り、一夜を共に過ごすという物語です。湿気の多い季節、「私」がガラス瓶に挿した、泰山木の白い花の甘い香りが、「片腕」と「私」が過ごす、部屋一面に満ちています。雨模様の空の下、大きな白い花を咲かせる泰山木。その甘い香りの中で、川端作品の美しい抒情的な世界を味わってみたいものです。
『片腕』が収められている、『川端康成全集』第八巻、『眠れる美女』(文庫)は本校図書館にあります。生徒のみなさん、保護者の方々もぜひ、手に取ってみてください。
(司書室より)