7月23日 「芸術としてのサッカー」

U18後期リーグvs守口東高校 1ー0 勝 守口東高校の皆様、本日はありがとうございました。

これまで畷高サッカー部主将として活動してきた私は、なぜサッカーをしているのか。サッカーでなければならないのか。

分からない。  

試合後、チームメイトから「お前機嫌悪くないか」と声をかけられた。「そう思うなら、そっとしておいてくれ」と内心腹を立てつつも、明らかに普段よりも自分の口数が少ないことを認めざるを得なかった。

なぜ、こんなにもサッカーに対して、喜んだり、落ち込んだりできるのだろうか。

試合中、私はとにかく得点に飢えていた。点を取りたい。自分にパスを繋いでくれ。そんな気持ちさえ抱いていた。点を取ったからと言って、お金を貰えるわけでもないし、これからの人生が何か変わるわけでもない。それでも、とにかく点を取るために夢中になっている時の自分は、きっと幸せを感じている。

しかし、そこに「主将としての自分」は残っていたのだろうか。チームに対しての行動が足りていなかったのではないか。自分は試合中、どう在るべきなのか。選手権初戦まであと約1ヶ月に迫った今になって、そんなことに悩んでいる。

私だけに限らず、試合に出ている11人は、どう在ることができるのだろうか。どう在れば、チームとして強くなるのだろうか。

少なからず私は、「もっとそれぞれの在り方があって良い」と感じる。確かに最後はチームとして勝ちに向かって行かなければならないし、ある程度気持ちは揃えないといけない。ただその中でも、それぞれ成し遂げたいことをピッチで全力でぶつけることも大切である。「自分達でボールを保持して相手のプレスを剥がしたい」「もっと意図的に相手を動かせるようになりたい」そんな願いで良い。

今、私達は決められた戦術の中で、窮屈にプレーしていないだろうか。そもそも戦術は自分達で決めているのに、「今あるものに疑いを持ち、さらに自分達で発展させて行く」というような気持ちの持ち方が足りていないのではないだろうか。気持ちの持ち方1つでプレーは変わるし、試合の展開も変わる。

となれば、自分達の作戦次第で、試合の流れは完全にコントロールできるのではないか?そんな疑問を持ち始めている。しかし、自分達でコントロールできるからこそ難しい。広いピッチの中で、80分という時間が与えられ、何をするべきかが全く決められていないなんて、私達は多くの選択肢を持ちすぎている。

しかしその中で、それぞれ違う特性を持った11人が集まり、チームとして戦う。11人で試合をデザインして行く。それが最高に難しく、最高に面白い。

そう考えれば、やはりサッカーは魅力のあるスポーツである。

その魅力に無意識に取り憑かれ、私はこれまでサッカーを続けてきたのかもしれない。


3年 プレーヤーN

掲載:顧問浅田