「できない」と「やらない」

現在、チームは様々な問題にぶつかっており、試合でも練習でも中々上手くいくことが難しい時期を過ごしている。  

こういう時期にこそ、個人が成長するきっかけになる出来事が起こる。他人に指摘され自分の課題に気付いたり、次こそはという強い思いが生まれたりするからだ。  

ここまでは全員に起こることである。だが、そういうきっかけを良い方向に持っていけるかどうかはそれぞれがやるか、やらないかで決まる。  

「やらない」に似ているようで違う言葉として「できない」がある。意味としてははっきりと違うことが分かるが思考や行動、となると今のチームははっきりさせることができていない。  

できないことは別に悪いことではない。誰でも最初からすべてできるわけではなく、できないこともあるからだ。そのできないことをできるようになるために練習をしている。  

だが「やらない」は違う。畷高サッカー部は選手主体のチームであり自由が多いとは言えど、できることをやらないのは果たして自由と言えるのか。自由はやるべきことをした者にのみ与えられるものだ。

そこを履き違えるとやりたいことだけをするようになっていく。そういう人がいるチームはいずれチームとして成り立たなくなるし、私たちが理想としている全員で戦うことからはかけ離れていく。  

現在、多くの人が「考えが足りていない。」「周りを見れていない。」「何をすればいいのか分からない。」などと悩んでいる。もちろんそのようなことにも問題はあるのだが、まず自分ができることを全てしたのか、と疑問に思う。  

自分ができることを全力で取り組み、全て出し切った上でそういう悩みがあるなら具体的な方法や改善策を考えればいいのだが、全力で取り組まずに悩んでいるならまずできることを全てすればいいと思う。そうすれば少しずつ見える範囲が広がっていき、余裕も生まれ、悩みに対して深く考えることもができる。そして、成長に繋げることができるだろう。  

「できない」「やらない」「できる」について書いてきたが、いつかはやらなければいけない時がやってくる。その時に自主的に本気で取り組めるようになるためには普段からできることから全力で取り組み、できることを少しづつ増やしていく必要がある。  

誰にだって嫌いなことはある。だが、嫌いなことにも全力を尽くせる人は強くなる。 私たちはそういうチームになる。

2年プレーヤー M

掲載:顧問浅田