校長 片山 造
「新潮文庫の100冊」家に帰るとそんな冊子があった。10年ひと昔とはよく言ったもの。パラパラめくってみると、昔と今の100冊とでは随分その作品に様変わりがあることが分かった。私が本を読むようになったのは高校時代。大会後で部活が休みに時にふらりと学校の図書館に行ったのが始まり。次いで、浪人時代。図書館で受験勉強をしているうち、本に囲まれていることに気がつき、問題集を横に読書に興じてしまった。そして、50歳を超えてから。私自身、今まで3回の読書波があった。どうやら、忙しい時ほど時間のすき間をみつけて読書に励んでしまう傾向にあるようだ。
アメリカ第33代大統領、ハリー・S・トルーマンはその経験の乏しさにも関わらず、偉大な大統領に成り得た。その原因は彼が14歳でミズーリ州インデベンデンス市の小さな地域図書館の本を一冊残らず読破したという事実にあると言われている。トルーマンは読書を通じて、人の生涯や先人たちの歴史に触れることで一人の人間の経験では得ることのできない洞察力やとるべき行動について学び自らの仕事に役立てていった。(イイネ)
高校時代、英語の先生から夏休みの課題をいただいた。もちろん、出来が良かったからではない。モーパッサンの「女の一生」の英語版のペーパーバックだった。先生はその本を渡しながら私にこうおっしゃった。「わからない単語が出てきても、辞書を引いてはならない。」「本の中にあるイラストをみて、イマジネーションを膨らませ感想文を書いてきなさい。」
そんなことも忘れ、部活動に没頭し夏休みも半ばを過ぎ、あの課題のことを思い出した。本を手に取り、めくってみる。登場人物は誰でストーリーは何なのか、全くわからない...わからないから、先生に言われた通り、冊子のイラストを穴が開くほどみて、もてる想像力を駆使して感想文を書き上げた。果たして、先生の評価は「それだけの想像力があれば大丈夫!」という、なんともつかみどころのないものであったが、自分なりに褒められていると解釈した。後に「女の一生」を読むと、全く異なる内容であったのは言うまでもない。